フィギュアスケート女子で、2度の世界女王に輝いた浅田真央(21=中京大)の母匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため、名古屋市内の病院で亡くなった。48歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。GPファイナル(カナダ・ケベック)に出場予定だった浅田は、この日、成田空港に緊急帰国。国内線に乗り換え、自宅のある名古屋市に夜到着。しかし母最期の時には間に合わず、悲しみの中、無言での対面となった。関係者によると23日からの全日本選手権、来年3月の世界選手権欠場の可能性もあるという。

 間に合わなかった。悲しみを押し殺すような帰国となった。最愛の母匡子さん最期の時に立ち会えなかった心痛はいかばかりか。しかし気丈にも、前を見据えて空港内を歩いた。報道陣から「真央さん、日本の皆さんが心配していますが」と声をかけられると、軽く頭を下げながら沈痛な面持ちで無言を貫き通した。

 一刻も早く地元名古屋に帰るため、通常の到着出口とは違うVIP専用出口から退出。カメラマンのフラッシュを浴びる中、黒の上下に、黒のニット帽を目深にかぶり白いマスク。ピンクのキャリーバッグを転がしながら、国内線に乗り継ぐと、地元名古屋へ到着。母が入院していた市内の病院に直行した。

 病院で亡き母と無言の対面を果たすと、浅田を待っていた家族とともに自宅へ戻った。弔いのために自宅を訪れた住職は「真央さんは落胆されていました。お母さまが亡くなられたのですから、非常に寂しがられていました」と話した。

 この日、同行し、ともに帰国した佐藤信夫コーチ(69)も、浅田のことを気遣った。「何と言えばいいのか、言葉にならない。まだまだ動揺する年齢だから、それだけが心配でかわいそう」。3季ぶりのGPファイナルに向け、好調さをアピールしていた直後の出来事だった。

 匡子さんは自宅療養をしながら治療を続けてきた。体調が悪いと入院し、回復すると退院の繰り返しだったという。4月末から5月にかけての世界選手権で、浅田は通常よりも数キロ、体重が落ちていた。決して、その理由を明かさなかったが、激やせも母の病気が要因だったという。所属事務所によると、夏以降は状態がさらに悪化していた。

 浅田にとって、母はすべてだった。母は浅田が小さいころから、長女の舞さんとともに競技生活を支え、2人の娘が世界女王になることを夢見てきた。佐藤コーチも「親子二人三脚でここまで来たので、ショックは大きいと思う」と、その痛みをおもんばかった。

 23日から、来年3月の世界選手権代表選考を兼ねた全日本選手権(大阪・なみはやドーム)が幕を開ける。しかし日本スケート連盟の関係者によると「全日本にも影響が出るかもしれない。仮に世界選手権代表に選ばれても、どこまで彼女が続けられるか」と話す。

 皮肉にも母と浅田がともに情熱を傾けたフィギュアが母との最期の時を奪った形となった。しかし1日も早く立ち直り、匡子さんの願いだった五輪での金メダルを取ることが、最高の手向けとなるに違いない。