<白鵬に至るSUMO道:4>

 これまで55人のモンゴル人が入門した。白鵬もその1人。01年春場所で初土俵を踏んだとき、日本にはモンゴル人留学生も多く、集まりもあった。だが、昔は違う。92年春場所、6人のモンゴル人が初めて大相撲に来た。幕内旭天鵬(40=友綱)も、その中にいた。

 旭天鵬

 当時、日本にモンゴル人はほとんどいない。学生もまだ留学していなかったと思う。店なんてないし、モンゴル人と会うことは、まるでなかった。

 91年にモンゴルで開かれた大島部屋の新弟子募集に参加し、合格した。92年2月21日、6人で来日した。

 旭天鵬

 うれしかったね。当時、モンゴルで一番はやったのはソニーのウオークマン。すごいと思った。相撲うんぬんでなく、日本という国に行きたかった。

 だが、半年後の8月、脱走を試みた。慣れない文化。すがれる同胞は1人もいない。母国とは手紙とビデオレターのやりとりのみ。ホームシックが大きかった。残ると決めた1人以外、モンゴル大使館に駆け込んだ。説得で元小結旭鷲山ら2人は残ったが、旭天鵬はかたくなに帰国を望んだ。

 その1カ月半後、師匠の大島親方(元大関旭国)に説得されて、1人だけ戻った。渋々の再来日。部屋では無視もされた。そこで負けん気が出た、稽古も雑用も進んでこなした。最初と違う姿に、周囲の目が変わった。認めてくれた。認めさせることができた。

 あれから22年余り。ただ1人残ったパイオニアは、白鵬の偉業を間近で見た。

 旭天鵬

 横綱はすごい努力やプレッシャーと闘ったんだと思う。1期生としてうれしいね。日本の文化になじんで、歴史を勉強しながらの結果。そこには、国境は関係ないと思うんだ。

 偉業達成は、幾多の苦労を乗り越えた本人の努力のたまもの。だが、決して1人で成し得たものでもない。先駆者たちが懸命にならした道がある。その道が、大記録につながっていた。【今村健人】(おわり)