07年6月に大相撲時津風部屋の序ノ口力士、時太山(当時17、本名・斉藤俊さん)が暴行死した事件で、傷害致死罪に問われた元親方の山本順一被告(58)の第4回公判が25日、名古屋地裁で開かれた。同罪に問われ、すでに有罪が確定した兄弟子2人が検察、弁護側双方の証人として初出廷。「暴行を指示していない」などの山本被告の主張を、あらためて否定した。

 目の前には、かつての師匠がいた。山本被告と同じ罪に問われ、有罪が確定した2人の兄弟子。相撲界では「親」だった元親方の視線に「子」の元力士はひるまなかった。裁判の争点になる同被告の主張を、真っ正面から突っぱねた。

 (1)暴行指示

 6月25日夜、山本被告が時太山をビール瓶で殴り、兄弟子は暴行した。同被告は12日の初公判で「暴行の指示はしていません」と主張。これに対し兄弟子(25)は「教えてやれ、やってやれ、と繰り返された。親方がビール瓶で殴るほどだったので、殴ってもいいからしっかりさせろ、という意味だと思った」と証言。別の兄弟子(26)も指示があったとし、「異常な指示と思った」の問いに「はい」と答えた。

 (2)制裁目的のけいこ

 翌26日、時太山は30分にも及ぶぶつかりげいこ後に死亡した。山本被告は「通常のけいこ」と主張するが、2人とも「けいこは斉藤くんへの罰と思った」と証言。ぶつかりの相手だった兄弟子は「10分過ぎて『もういいんじゃないか』と親方の目を見ても、目線をそらし『ダメだ』という感じだった。指示がなくてやめられなかった」と説明した。

 師匠への不満は、昨年2月の逮捕前からあったようだ。時太山の意識がなくなり、慌てた山本被告は腹部を木の棒で強く押している。同被告が日本相撲協会から解雇される直前の07年10月。この事実を明かさないなど不信感の募った4~5人の弟子で同被告の部屋に乗り込み、追及したという。兄弟子の1人は「親方は『そんなことやってないだろう』と話して、おかみさんにも『今さらそんなこと言ってどうするの』と言われた。口止めされた感じだった」。

 まげのなくなった「弟子」を、山本被告はじっと見詰めていた。だが再会した2人の兄弟子に特別な感情はない。手錠に腰縄で退廷する時だけ。責任を押しつけようとする「師匠」の背中に、鋭い視線を送っていた。