大関稀勢の里(27)らが所属する鳴戸部屋が消滅した。日本相撲協会は25日、鳴戸親方(37=元前頭隆の鶴)が年寄「田子ノ浦」を襲名すると発表。「鳴戸」の名跡証書は先代の遺族が保有し、公益法人化にともない一括管理する協会へ提出できず、別の名跡を取得した。今後は千葉・松戸市から、東京・墨田区の旧三保ケ関部屋へ移転する見通しであることが分かった。初場所(来年1月12日初日、両国国技館)で綱とりを目指す稀勢の里は田子ノ浦部屋の力士として、再始動する。

 綱とり場所前の稀勢の里に衝撃が走った。師匠の解雇という最悪の事態は回避できたが、入門以来背負ってきた「鳴戸」の看板が突然消えた。朝稽古後は「初詣も行かない。(大好きな)アメフトも行かない。明日の総見も楽しみ。勝ちにつながるためにいろいろしないといけない。やるしかない」。時間を惜しんで相撲に集中。2度目の今回こそ、必ずつかみ取る姿勢を見せたばかりだった。

 夕方になって、鳴戸親方が会見で説明した。「はっきりいって先代(元横綱隆の里)の名前が偉大すぎた。私じゃ…。重かった。相撲だけでなく心も鍛える先代の教えを、名前が変わっても大事にしていきたい」。稀勢の里、若の里ら関取衆にはすでに説明。「先代が1番ですが、これから部屋をやっていく上では、今回の選択しかなかった。自分が決めたこと。(二所ノ関)一門を変わることは考えていない。いろいろな思いはあっただろうが、付いてきてくれると言ってくれた」。あふれる涙を小さなタオルでぬぐった。

 公益法人化にともない、相撲協会が年寄名跡を一括管理することが発端だった。11年11月の先代(元横綱隆の里)の急逝で「鳴戸」を襲名も、遺族との関係がうまくいっておらず、証書は先代のおかみが所有したまま。20日の証書提出期限には間に合わなかった。初場所初日までの猶予が与えられたが、北の湖理事長(元横綱)からも「厳しい態度で臨む」と勧告された。部屋存続、師匠継続の苦肉の策だった。

 関係者によると、その後も連日2時間以上の交渉を続けていたが、平行線のままだったため決断したという。「田子ノ浦」は昨年2月に亡くなった元久島海の名跡。「(田子ノ浦の)先代おかみも応援してくれた。先代親方も喜んでくれると思うと言ってくれました」と話は急展開した。今年4月まで元幕内金開山(現三保ケ関親方)が借りていたが、現在は空いていた。

 現在の部屋は先代の持ち家でもあり、継続使用は困難。今日26日からの住居や稽古場も失った。「全力士が良い環境で力を出せるようにすることが自分の仕事。稽古場とか寝るところとか早めに決めたい」。関係者によると、9月の秋場所限りで師匠が定年退職したばかりの旧三保ケ関部屋を借りる話が進んでいる。鳴戸部屋は、早くもウェブサイトが閉鎖。近日中に所属力士12人、行司、床山らは移転する見通し。環境が激変する中、稀勢の里の精神力が問われる初場所になる。

 ◆鳴戸部屋

 2011年11月に急逝した先代鳴戸親方(元横綱隆の里)が1989年(平元)2月に二子山部屋から独立して興した。関取第1号は93年名古屋場所新十両の力桜で、96年名古屋場所で最初の新入幕に。来年初場所の番付では大関稀勢の里、平幕高安、十両若の里、隆の山の4人の関取が在籍。部屋の所在地は千葉県松戸市。

 ◆年寄名跡

 年寄株、親方株とも呼ばれ、力士が引退後に年寄名跡を取得、襲名することで、引き続き協会に在籍できる。年寄目録にある105に限り、これに功績で贈呈された一代年寄がいる。現在は北の湖、貴乃花の両親方。日本国籍を有し、最高位が小結以上、幕内在位通算20場所以上、十両以上在位通算28場所以上のいずれかが条件。部屋継承者は特例で、幕内在位通算12場所以上、十両以上在位通算20場所以上に条件緩和される。横綱はしこ名で5年間、大関は3年間年寄として在籍可能。年寄の月給は78万4000円。