東浜の投球には気迫が込められていた。いつも以上に直球が走っていた。直球が走らず調子が悪い時は決め球に苦労し、球数が増えたり、四球も多くなったりと、守備の時間が長くなることもあるが、それがまったくなかった。ピンチを招いてはいたが、いやな走者の出し方ではなかった。安心して見ていられた。

東浜も、これまでいろいろと助けられてきた川村コンディショニング担当が亡くなったことで期するものもあっただろう。私も実はダイエー(現ソフトバンク)に入団して1年目の92年1月、新人合同自主トレで初めて指導を受けたのが、当時トレーナーだった川村さんだった。常に選手の立場になって考えてくれて、何でも相談できる人でした。明るい性格もあって、自分も何度も愚痴を聞いてもらった。川村さんは嫌な顔ひとつせず、何でも聞いてくれた。食事にも一緒に行ったし、みんなから兄貴みたいな存在として慕われていた。

現役のころ、腰を痛めたオフに川村さんと一緒に米国に渡ったことが思い出される。フロリダのマーリンズの施設を借りて2週間くらい生活もともにした。技術ではなく、選手を心身ともに整えてくれる人でもあった。

マウンドで力投した東浜だけでない。選手全員が天国の恩人に向けてプレーした結果の勝利だった。(日刊スポーツ評論家)

日本ハム対ソフトバンク 試合後、ソフトバンク・デスパイネから勝利球を受け取る東浜(撮影・黒川智章)
日本ハム対ソフトバンク 試合後、ソフトバンク・デスパイネから勝利球を受け取る東浜(撮影・黒川智章)
日本ハム対ソフトバンク ソフトバンク先発の東浜(撮影・佐藤翔太)
日本ハム対ソフトバンク ソフトバンク先発の東浜(撮影・佐藤翔太)