広島のオスカル、飯田の両左腕が、サイドスローに転向。ワンポイントを目指している。ふと気になり、広島最後の「左殺し」に話を聞いた。現在は広報の河内貴哉氏(35)だ。08年に左肩関節唇と腱板(けんばん)部の再建手術を受けた。大けがから奇跡的に復活。13年には左キラーとして34試合に登板した。

 軽い気持ちで聞きに行ったが「僕は野球選手じゃなかったから」と衝撃的な言葉が返ってきた。今も左肩は上がらず、拳をつくっても小指と薬指は完全には曲がらない。痛みが少なく、投げられる場所。それが横手だった。「そうするしかなかった。1球でも1軍で投げたかったから」。優しい顔で肩をさする。

 とにかく生き残ろうと必死だった。「1人じゃなかったから」。育成選手時代に結婚。コーチ、トレーナー、スタッフにも支えられた。理想追求をやめ、左打者が嫌がることをやり続けた。目線を合わせながら投げたり、直球でも縫い目に掛けずに投げた。先の2人とは経緯も違えば助言する立場でもない。ただ最後は「僕が右腕だったらとっくにクビ。チャンスは広がると思うから頑張ってほしいですね」と心底からのエールを送った。【広島担当=池本泰尚】