「通訳って語学力じゃないよ」。3月22日付で日本ハムの常務取締役球団代表を退任した島田利正氏の言葉だ。39年前の1979年(昭54)に、通訳として入団した。数々の外国人選手を相手にしてきた。当時は「どうやったら、外国人選手の成績を上げてあげられるんだろうと考えていた」という。思い出深い外国人選手の1人が97年に来日したナイジェル・ウィルソン外野手だ。

 来日1年目に37本塁打で本塁打王となったウィルソンは、開幕当初は日本野球に苦しんでいた。とある春先の試合後に島田氏は、次のように話しかけた。「もっと男らしく振れよ」。自信なく、気弱なスイングで凡退を繰り返す姿が気になった。言葉をかける前に「怒らないで聞いてくれ」と前置きし、了承していたはずのウィルソンは激高したという。ただ、日本で成功してほしいという思いは、しっかり伝わっていた。

 翌日に島田氏はウィルソンから1つの提案を受けた。「悪いスイングをしていたら、試合後に言ってくれ。その時は、これに罰金を入れていく」。ウィルソンが手にしていたのは、空のペットボトル。その日から、島田氏が見てスイングが悪いと思えば指摘した。罰金の額は打撃内容によって変わったが、ウィルソン自身も反省した時は一番高い紙幣を何枚も入れる時もあった。

 次第に日本野球に順応したウィルソンは97年6月21日近鉄戦(大阪ドーム)で王貞治氏以来の1試合4本塁打をマークするなど、優良助っ人として大活躍した。通訳は語学力じゃない。島田氏は「本当にどれだけ親身に成績を上げてあげたいと思ってあげられるか」と、話す。

 その後、島田氏は球団の北海道移転にも深く携わり、チームの編成部門トップも務め、近年は12球団の代表者が集まる実行委員会にも球団を代表して出席していた。また、侍ジャパンの立ち上げにも尽力するなど、球界発展に力を注いだ。

 球団代表を退いた翌日の3月23日。札幌ドームで選手らに退任のあいさつを行うと、現場もフロントも知る球団の功労者に対して、サプライズで胴上げも行われた。島田氏は最後に、やり残したことはと問われ、次のように答えた。「もっとプロ野球界を変えられたんじゃないかな、危機感を持たせられたんじゃないかな。アマチュアの方が危機感は強いから。侍ジャパンをやり始めた時に、アマチュアの人とよく話した。危機感はアマチュアの人の方が強かった。たぶん、競技人口が減ってきているのを直に感じている。ところがプロは観客動員が増えているというところで、まだギャップが…。最近になって競技人口の話をしてきているけど、本当のどうしようという具体的なところは出てきていない。もっと、会議に出てくる人に野球を愛してほしいですね」。

 島田氏は3月26日に設立された、日本ハムが北広島市に新球場建設を目指すための準備会社「北海道ボールパーク」の取締役に就任した。「北海道という土地がファイターズだけでなく自分も育ててくれたなと思っています」という思い入れのある北の大地で、今度は球団がまい進する壮大な夢の実現へ注力していく。【日本ハム担当 木下大輔】