気恥ずかしいかもしれないので「A」という名の打撃投手としておこう。

巨人に入団し、あと1歩でプロ初勝利に届かず引退。スタッフとしてチームに残るよう打診を受けた。Aはコントロールに自信があったが、気持ちよく打ってもらうのは思ったよりも難しい。7年前、当時33歳で全盛時の阿部慎之助が相手だとなおさらで、力んでシュート回転してしまう。

練習からシビア。死に球には手を出してくれない。まずいな…しかし阿部は、駆け出しのAに対し「よろしくお願いします」と打ち始め、打ち終わりに「今日もナイスボールだった。ありがとう」と声をかけ続けた。

それは誰に対しても変わらぬ丁寧な所作だった。投げ続けて1年5カ月たったころ、ベンチに無造作に置いてあった「10」のヘルメットを見て気がついた。「つばの裏が、一部分だけ変色しているんです。打ち終わった後、必ずヘルメットを脱いで頭を下げてくれるからですね。巨人で一番、打っている人が一番、心を込めて打ってくれる。阿部さんがあれだけ打てるのは当たり前だと思う」。

鈍色のつばが響いた。1軍に上がってきた若手に「せっかく呼んでもらったんだ。感謝の気持ちを持ってプレーしよう」と諭す姿も見て「自分も感謝の気持ちを持って投げよう」と決めた。

まつわる人すべてに等しく接し、職業観まで浸透させて巨人を束ねてきた。あと7勝。同じように丁寧に、左手をヘルメットに添え「ありがとう」と伝えてから試合に臨むんだろう。

阿部について聞いた最も好きなエピソードだ。【宮下敬至】