<ソフトバンク2-1ロッテ>◇19日◇ペイペイドーム
あのころは開幕1軍なんて正直想像できなかった。
「まずいな、本当に練習する場所がない…」
プロ野球キャンプイン前日の1月31日、珍しく嘆き節だった鳥谷が懐かしい。
移籍先が決まらず、2月上旬は兵庫県内の自宅で自主トレを継続。ガレージで壁当てと素振りを繰り返した数日間は今でこそ笑い話だが、当時は結構切実だった。それが4カ月後には開幕ロースターに名を連ねているのだから、未来は誰にも予測できない。
3月10日、ロッテに電撃入団。新型コロナウイルスの影響で開幕が大幅に延期された結果、プロ1年目から17年連続となる開幕1軍入りを決めた。
チームが活動を再開した5月末以降の実戦は計27打数1安打。開幕1軍には賛否両論が飛び交っているそうだが、少なくとも38歳が重圧に押しつぶされることはないだろう。
「もう記録を止めてください」
「2軍に行かせてください」
阪神時代、何度か首脳陣に直訴しかけた。
プロ野球史上2位の連続試合出場数を1939まで伸ばした終盤、若手重用の機運に自身の不調も相まって、「記録のために出すな」と一部から批判も受けるようになった。
チームに迷惑をかけるぐらいなら…。甲子園のロッカールームにあった荷物を片付け、2軍降格に備えたこともあった。それでも最後は思いとどまった。
「自分から『2軍に行きます』と言えば聞こえはいいし、楽にもなれる。でも、試合に出す出さない、1軍で使う使わないは、やっぱり選手が決めることじゃないと思ったから」
求められている限り、ベストを尽くす。苦悩を重ねた末に導き出した結論は、ユニホームが変わっても揺らぐことはない。
2月だったか3月だったか、鳥谷はロッテとの入団交渉が最終局面に差し掛かったころ、泥水もすする覚悟を球団側に伝えている。
「もし競争させてもらって必要ないとなれば、1年間2軍でも構いません」
その上で1軍に必要だと判断されたのであれば、守備固めだろうが若手のフォローだろうが、求められた役割に集中するだけだ。
阪神から事実上の戦力外通告を受け、3月まで移籍先が決まらなかった。
「あのまま引退した方が楽だったことぐらい分かっている。それでも続けると決めたんだから」
自ら選んだ「いばらの道」。多少の逆風があろうとも、必要とされる限り、鳥谷は職務を全うする。【佐井陽介】