かつてのホームへ帰ってきた故野村克也氏(享年84)に、歓迎の歌が誕生した。

大阪在住のベテラン歌手ユニット「アンタッチャブル」の野本有流(ある)さん(64)が作詞、幸木無二(むに)さん(64)が作曲し、野本さんが歌う自費製作CD「おかえりノムさん ノムラデノムラダ■」が、かつての南海(現ソフトバンク)ホークスファンの間で、ひそかに話題となっている。

「ノムラでノムラだ おかえりノムさん ノムラでノムラだ 大阪球場に 会いた克ちゃん 会いた克ちゃん おかえりノムさん」

軽快なテンポの曲に、かつての大スターを迎える喜びがあふれかえる。

大阪・難波の「南海ホークスメモリアルギャラリー」では、かつて当地の大阪球場を本拠地とした南海(現ソフトバンク)ホークス関連の写真やユニホームなどを展示してきた。ところが、54年から主砲や正捕手として、70年からは選手兼任監督として屋台骨を背負ってきた野村氏に関する展示物は長らく置いていなかった。77年に監督を解任されたことから、両者には距離があった。かつてのチームメートだった江本孟紀氏らの尽力により、今年2月に展示が始まったのだ。

「南海の歴史の中で野村さんに触れないなんて、日本史で徳川家康を語らないようなもんです。ホークスというジグソーパズルに、最後のピースがぴたりとはまったような気がしています。『よう帰ってきはった、ほな作ろか』というノリでした」と野本さんは満足げだ。

「アンタッチャブル」は82年に日本コロムビアからメジャーデビュー。鍼灸(しんきゅう)師との「二刀流」で活動していた野本さんは86年、大阪・МBSのラジオ番組「真夜中のなか」でDJを務めていた。親戚の影響で子供のころから南海ファンだったため、低迷し人気もなかったホークスのコーナーを作った。「どないしたら大阪球場にお客さんを呼べるやろ」などと問いかけると、それまで受験生中心だったリスナーではなく、年配の男性から「ホークスを話してくれて、おおきに」と大量のはがきが届いたという。野本さんもまた「正しいホークスの応援方法」など自説を披露。「高島屋の地下で、てんぷらとビールを買って入場するのが王道や」などと語り続けた。

そんな中でできたのが、86年発表のブルース「南海ファンやもん」だ。「あんときゃよかったね あんときゃ強かったねと 言いたいばかりに 今日もミナミの飲み屋へ~」と哀愁たっぷりに語る名曲は、今回のCDにも収録されている。

ホークスが89年に福岡へと飛び立ち、33年目となった。ライオンズが西鉄-太平洋クラブ-クラウンライターと名を変えながらも博多の街にいた29年を、気づけば4年も上回っている。「かつての南海-西鉄戦は、甲子園の阪神-巨人より人気があったそうです。野村さんのことも、監督としての実績が大きくなりすぎて、選手時代のことは知らない若い人も多いでしょう。そんな方にぜひ聴いていただきたいものです」と野本さんは熱っぽく語る。ホークスを、パ・リーグを、そしてミナミの街を愛する野球ファンなら必聴の1枚だ。アマゾンや楽天で購入可能である。【記録担当 高野勲】

※■は連こう(桁)付き十六分音符