山本由伸の名前を聞いたのは、オリックス沢田圭佑からだった。

沢田が大阪桐蔭から立大を経てプロ入りした1年目の17年4月、久しぶりにゆっくり話す機会があった。そのとき、ドラフト同期で入団した高校生の話題になった。「すごい投手です。高校生のレベルじゃない。ブルペンで投げているのを見たら、みんなが見とれる。本当にすごいんです」。山本のことだった。

18歳の右腕のことを、目を輝かせながら話すのを聞いて、オリックスはいい投手を獲得したのだな、と確信した。それが、沢田の言葉だったからだ。

沢田自身が、22歳のその時点でいくつもの逸話を持った投手だった。中学時代に「愛媛屈指の剛腕」と言われた投手の底力を見せたのは、3年夏の大阪大会決勝・履正社戦だ。終盤、履正社の猛反撃にあい、先発の藤浪(阪神)が降板。救援した沢田が迫力あふれる力投で、ライバル校の反撃を断った。

優勝が決まった瞬間、西谷浩一監督は「みんなを救ってくれた…」と沢田に抱きついた。普段の試合後なら、まず用具を片付ける冷静な有友茂史野球部長も、両手を高々と掲げてバンザイ。今では大阪桐蔭の代名詞となった「甲子園春夏連覇」は、そこから始まった。

立大では持ち前の快速球に磨きをかけ、150キロ右腕に成長してプロの世界に入ってきた。2年目の18年は5勝8ホールド、19年は2勝17ホールドと、セットアッパーとして活躍。「ブルペンで3球投げたらマウンドに行けるようにしています」と、緊急登板にも対応できるような調整法を身につけた。「いずれは9回を任されるようになりたい」と、抑えへの夢を語っていた。

だが近年は、右肘痛に苦しむようになった。かつては「ケガなんかしたら、西谷先生に叱られます。『何があっても抑えてこい』『死球を受けてでも、塁に出ろ。絶対に痛い表情をするな』。そんな言葉で、ぼくは鍛えられましたから」と、むちゃな言葉の裏にある恩師の愛情に感謝していた。だが今、恩師はずっと沢田の体を心配し続けている。

13日、沢田は右肘内側側副靱帯(じんたい)再建術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。復帰まで自分と向き合う、長い旅が始まる。「また投げられるように頑張ります」という言葉を信じる。5年前「すごい投手です」と教えてくれた山本は、日本のエースになった。自分自身の決意表明も、そうなると信じる。【堀まどか】

西武対オリックス ノーヒットノーランを達成して捕手若月(左)と抱き合う山本(2022年6月18日撮影)
西武対オリックス ノーヒットノーランを達成して捕手若月(左)と抱き合う山本(2022年6月18日撮影)