阪神にはセ・リーグで「アレ」を2度成し遂げた先輩がいる。藤本定義監督は、62年、64年の2度チームを栄冠に導いた。05年に続き自身2度目のVを目前にした岡田彰布監督(65)が、もうすぐ続く。
藤本監督は1904年(明37)生まれ、愛媛県出身。松山商-早大を経て、36年に巨人の監督に。1リーグ時代の巨人を7度優勝に導いた。他球団の監督を経て阪神に移り、コーチを経て61年途中に監督へと転じた。
62年には、阪神に革命を起こす。小山正明、村山実の両エースを擁する投手陣に、阪神で初めて「ローテーション」を導入。適度に休養を取らせて円滑に起用を続けた。小山は27勝、村山は25勝。年間75勝のうち、約7割を2人で稼いだ。
64年には、チームの改造に打って出る。大エースの小山を大毎(現ロッテ)に放出し、山内一弘を獲得した。外国人投手のバッキーの成長を見極め、穴が埋まると判断したのだ。バッキーは球団シーズン記録の29勝を挙げ、外国人初の沢村賞を受賞。山内は31本塁打を挙げ、Vに貢献。移籍した小山も30勝を挙げるなど、双方に実のあるトレードとなった。
愛称は「伊予の古だぬき」。老練な采配と親しみやすい人柄によるものだった。バッキーは「選手はおろか、裏方やその家族に至るまで性格を詳細に把握していた」と舌を巻いた。65年には高知・安芸市に注目し、後にタイガータウンの建設にもつなげた。
宿命のライバルといいながら、優勝回数で阪神は古巣の巨人に後れを取っていた。打撃の神様、そして名監督となった川上哲治監督を「テツ」呼ばわりするなど、選手たちにはびこる劣等感の一掃にも心を配っていた。
68年を最後にユニホームを脱ぎ、監督業も引退した。阪神での通算514勝は最多、自身の1657勝はプロ野球3位。鶴岡一人1773勝、三原脩1687勝に続く。81年に死去した。
ところで、2度のセ優勝を果たした藤本監督だが、日本一には手が届かなかった。日本シリーズで62年は東映(現日本ハム)に、64年には南海(現ソフトバンク)に敗れた。日本一となれば、85年以来チーム2度目となる。大先輩が成し遂げられなかった「日本アレ」を成し遂げ、名将の名を球史に刻んでほしい。
【記録室 高野勲】(22年3月のテレビ東京系「なんでもクイズスタジアム プロ野球王決定戦」準優勝)




