10年前、ある選手に聞きそびれた。パドレス松井裕樹投手(28)の報道を目にするにつれ、今からでも聞いてみたいと思った。楽天の宮川将投手に。
14年7月2日、京セラドーム大阪でのオリックス戦。楽天のルーキー松井裕は2-0の5回2死一、二塁に2番手で登板した。ペーニャを二ゴロ。6回、7回も0に抑え、プロ8戦目で初勝利を挙げた。
指揮を執ったのは、大久保博元監督代行だった。2軍監督からの異動が発表されたばかり。休養中の星野仙一監督に代わり、佐藤義則投手コーチが監督代行を務めていたが、成績は芳しくなかった。異例の監督代行交代。その初陣を、ルーキーの初勝利で飾った。
先に書いたとおり、松井裕は2点リードの5回2死、2番手で上がった。先発の宮川は勝利投手の権利まであとアウト1つだったが、糸井に四球を出して交代となった。
リリーフした松井裕が素晴らしかったのは言うまでもない。ただ、1発逆転のピンチとはいえ、リードした5回2死で先発投手を降ろした。勝負に徹したなら分かる。だが、松井裕はデビューから先発で苦労していた。リリーフの専門職ではなかった。なぜ、松井裕だったのか。推測になるが、大久保監督代行は勝てない松井裕に初勝利の機会をお膳立てした。勝つことで、一皮むけるきっかけを与えたかった。
その思惑通り、松井裕は1年目から27試合に投げ、4勝8敗を残した。2年目から抑えに転向し、絶対的な守護神へと成長していった。
「聞きそびれた」のは、結果として1勝を奪われた形になった宮川の心中だ。試合当日は、松井裕の初勝利や監督代行交代の取材に追われた。その後、楽天担当を離れ、はや10年になる。
2月、楽天キャンプを取材する機会に恵まれた。スタッフに転身した33歳の宮川打撃投手に話を聞けた。
よく覚えていた。
「ゲーム自体は(失点)0でいってましたけど、フォアボールもありましたし(交代は)しょうがないなあと思って。チームが勝って良かった。(そのシーズン、楽天は)まだオリックスに勝ててなかったんですよ。1勝できたのはうれしかった」
1回から3回まで毎回、四球を出しながらも、なんとか踏ん張っていた。初回には死球も与えていた。5回2死から4つ目の四球を出しての交代だった。本人も「しょうがない」と思う内容だった。
ただ、こう続けた。
「でも、日に日に、もうちょっと投げさせてもらいたかったな、という気持ちは。やっぱり」
投手の本音だった。
18年に楽天を退団。19年からは独立リーグに移り、投手コーチ兼任となった。21年からスタッフとして古巣に戻った。
指導者も経験した今、監督の立場が分かる。「大変だと思います。いろいろ選手にあった起用法、アプローチの仕方を変えないといけないと思うので」。
自身の初勝利も監督の差配から生まれた。その1年前、13年8月4日の日本ハム戦(札幌ドーム)。先発の戸村が3-1の4回に四球から崩れ、同点に追い付かれた。星野監督の怒りに火が付いた。「宮川、行くぞー!」。すると、打線が5回表に7点を勝ち越し。その裏から上がったルーキー宮川は、大量リードをもらった中で3回5安打1失点。プロ初勝利を手にした。「宮川に早く勝ち星をつけさせたい」と繰り返してきた星野監督は「自信にして欲しいね」と喜んだ。
宮川打撃投手は「勝たせてもらいました」と感謝する。そして、自身が譲った格好の勝利には「その1勝が今の松井につながっているかもしれないですね」と優しく言った。
2人には後日談がある。打撃投手で戻ってきたときだった。松井裕から「宮川さんからもらった1勝は忘れてません」と言われた。
「その1勝がなくても、あの子はポテンシャルがすごい。メジャーに行くぐらいですから。でも、(松井裕の言葉は)うれしかったです。向こうで頑張ってもらえたら」
後輩の活躍を願っている。【11~14年楽天担当=古川真弥】




