プロ野球の日常風景。昭和になく、平成に生まれ、令和に継がれる「レガシー」がある。出ばやし、すなわち登場曲が球場に流れるようになったのは前元号が産声を上げたころと言われる。〝球音〟のルーツは若き日の谷繁元信(48=日刊スポーツ評論家)だった。

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2月初旬、谷繁と評論活動のため、キャンプ地を巡った。拠点の宮崎市からカープの日南市、ライオンズの南郷町へと向かう道中。ひとしきり昨今の球界事情も語り尽くした。のどかな海岸線が続く。車内は一時の沈黙が漂った。会話をつなごうと、脈略もなく音楽の嗜好(しこう)について振った。思わぬレガシーに出くわした。「最初に登場曲を流したのは、オレなんだ」。

90年代初め。20歳になったばかりの谷繁が横浜スタジアムの打席へ向かうと、世界最先端のヒップホップが流れた。MCハマーの「U Can't Touch This」。オルガン演奏による自身の応援曲が主流の時代。異質な登場だった。

谷繁 トランペットとかは吹かれていたけど、静かな雰囲気で進んでいた。何か盛り上げられないかなと。それに自分のテンションも上げたかった。

メジャーのテレビ中継を見ていると、選手が曲に乗って打席へ歩いていた。「超爆音で。『ここはクラブ? 野球場だよな』と。アリだなと思った」。江の川高(現石見智翠館)時代から練習を終え、寮に戻れば洋楽を耳にしていた。“栄えあるデビュー曲”にMCハマーを選んだのも自然な流れだった。「正直、照れもあったけど。でも、すぐにみんなマネをした」。音楽が野球と共存を始めた。

世界屈指の歌手とは、後に縁も生まれた。大洋(現DeNA)で同僚だった元メジャーリーガーのレイノルズと東京ドームでのコンサートに出掛けた。デビュー前にアスレチックスでボールボーイをしていたMCハマーと、レイノルズは知り合いだった。「楽屋であいさつさせてもらった。『オレはキャッチャーをしている』と言ったら、キャッチャーのマネをしてくれてね」。野球が共通言語となりスターと触れ合った。

27年間の現役生活でさまざまな出ばやしを使った。洋楽も多かったが、サザンオールスターズも使用。「『エロティカ・セブン』とかね。でも『マンピーのG★SPOT』はさすがに使わなかったな」と笑った。40歳を超えてから登場曲としたAK-69は、今や球界のみならず多くのトップアスリートからも愛される。脳波研究機関の測定では、集中・エネルギー・パフォーマンスの向上に関連するベータ波の活発化が認められたという結果もある。若き日の谷繁の改革は、科学的にも実証された。

谷繁にとっての音楽。「打席に入る時に思いのある曲が流れると、スイッチが入る。自分の闘志をかき立てるものとして音楽は必要だった」。19年シーズンも始まり、球春が到来した。それは“球音”の訪れでもある。(敬称略)【広重竜太郎】

11年7月、アスレチックス-エンゼルス戦で笑顔を見せるMCハマー(右)
11年7月、アスレチックス-エンゼルス戦で笑顔を見せるMCハマー(右)