ストッパーを挟んで鉄扉が少しだけ開いていた。のぞくと「お母さん」の表現しか当てはまらない女性が、ちょこんと座って手招きしていた。行儀よく並ぶトンボと赤いラインカー。キーパーさんの控室か…「コーヒー飲む?」とカップを渡された。
13年前、夏の昼下がり。札幌ドーム一塁側ベンチ裏である。
「巨人担当の記者さんは大変ねぇ」
「大変じゃないですよ、やってるのは選手だし」
「そんなことない。数も多くて緊張感がある。それに、負けてるからだろうけど元気がないね。声が聞こえてこない。試合中も、元気がいいのはコーチだけ」
ホットをすすって何げなくコンクリートのカベを見ると、サインが書いてあった。「矢野君よ。彼はホント、いい子。必ずあいさつしてくれて。ここで休んでいくときもあるのよ」。
「矢野君はいつも元気がいいですね」
「そうね。ふらっと入ってきてトウモロコシを一緒に食べたり。『さすが北海道、おいしい。またごちそうして下さい』って、うれしいよね」
「甲子園の焼き鳥スタンドにも矢野君のサインがありましたね」
「いつも自然体でね。頑張ってほしいなぁ」
ナイターで連敗が9に伸びた。試合後、あの原監督が会見をキャンセル。選手もこわばったままバスへ急ぐばかりで、誰も言葉を発しなかった。チーム全員が無言というジャイアンツの現場…こうして書いても空恐ろしい1日を救われたというか、昼間のやりとりがやけに印象に残った。
ハム担当から、工藤悦子さんという名物キーパーだと聞いた。球場で会うたび話すようになった。
「あなたは長いわねぇ。今年も来たわね」
「元気ですか」
「私は変わらないわよ」
「まさか矢野君が札幌に来るとは」
「ホントよ。私はうれしかったけど」
昨年の3月31日、工藤さんは定年を迎えた。5回が終わり、いつものように整備に走ると大型ビジョンに矢野が現れ、語りかけた。
「長い間、ありがとうございました。工藤さんに会うのが、ひとつの楽しみでもありました。心のこもったケアをしていただいて、本当にありがたく思っています…」
工藤さんは恥ずかしそうに、でもいつもと変わらず丁寧に赤土をならし、栗山監督から花束をもらった。
矢野はその秋に引退した。1年後、日本ハムのコーチに就任し会見で言った。「教えるというよりは、一緒になって作りあげていく。心に置いて、やっていきたいと思っています」。人と接する上での原点を、言葉にしたのだと受け止めた。平凡な言葉も、バックヤードを重ねて聞くと響く。【宮下敬至】