JR新橋駅の汐留口から歩いて3分。すぐに14階建ての建物が見える。銀色の看板に赤い文字で「ヤクルトホール」。ヤクルト本社ビルだ。


言わずと知れたスワローズの親会社。球場は神宮で、球団事務所は青山。選手たちが普段、本社ビルに足を踏み入れることはない。だが多くは、ここ新橋からヤクルトの一員として第一歩を踏み出している。新入団選手会見が行われてきたからだ。

ヤクルト球団といえばアットホームな雰囲気で知られる。カラーを象徴する空間が本社ビルの地下にあった。そして、ひっそりと50年近い歴史に幕を閉じた。日本料理店「味里(みさと)」。本社ビルの完成と同じ1972年(昭47)から営業を続けてきた。

ランチ時にはサラリーマンでにぎわい、夜は個室が埋まった。本社ビルが4月に竹芝に移転するため、この1月で閉店。古株の球団職員は「味里は、ヤクルトのアットホームの原点です」と懐かしむ。

新橋のヤクルト本社ビルの地下にあった「味里」
新橋のヤクルト本社ビルの地下にあった「味里」

ヤクルトホールで新入団選手会見を終えたら、味里を貸し切り懇親会が恒例だった。新人、家族、球団幹部。みんなで、しゃぶしゃぶやすき焼きをつついて距離を縮めた。「もっと食えよ。広沢は肉を何皿、食ったぞ。いい選手は、たくさん食べるんだ」。幹部の声が飛んだものだった。昨季限りで現役を退いた三輪正義広報は「しゃぶしゃぶも、すき焼きもおいしくて。東京ってすごいなと思いました」。山口から生まれて初めて上京した青年は味里で東京を感じ、成功を誓った。京都出身の河端龍広報も「プロ野球選手になったら、こんなおいしい肉が食べられるんだと衝撃を受けました」と思い出す。

ところで、なぜ、スワローズというのか。50年に国鉄が球団をつくる際、ニックネームを全職員から募った。「ホイッスル」(汽笛)「レッドキャップ」(赤帽)「弁慶」(機関車の名称)などなど、国鉄らしい愛称が短期間で数千通も集まった。圧倒的に多かったのが「スワローズ」(つばめ)。国鉄が誇る超特急「つばめ」からだ。そのつばめが走っていたのが、東海道線だった。国鉄の後継球団であるヤクルトの親会社が、東海道線の新橋駅近くにあるのも、深い意味があるように思えてくる。

ようやく旅の準備が整った。かつて、つばめが走った東海道線に乗り込もう。まずは横浜。下り列車は1番線だ。(つづく)【古川真弥】