JR常磐線が14日に福島県内の富岡駅~浪江駅間で運転が再開され、全線復旧する。「3・11」に合わせ常磐線沿線の野球を巡る「野球の国から」。浪江町出身で本紙野球担当の鎌田良美記者が、全線復旧を前に故郷を訪れた。高校3年間、浪江駅を利用して通学していた記者が感じた思いとは…。母校・磐城(福島)も出場するセンバツ大会(19日開幕、甲子園)の開催可否は、今日11日に行われる臨時運営委員会で決定される。

福島県内の常磐線復旧状況と避難指示区域。赤枠は帰宅困難区域。斜線部は避難指示が解除された区域
福島県内の常磐線復旧状況と避難指示区域。赤枠は帰宅困難区域。斜線部は避難指示が解除された区域

毎朝6時ちょうどに家を出て、同15分浪江駅発の上り電車に乗った。富岡を過ぎると海が広がる。車窓いっぱいの太平洋がきれいだった。冬は水平線から昇る朝日でオレンジ色に染まった。片道ぴったり1時間。ボックス席でイヤホンを耳にかけ、予習しながらいわき駅まで揺られる。私の高校3年間は常磐線とともにあった。

高3夏、母校・磐城が福島大会4回戦に進んだ。次は県内屈指の投手力を備える学法石川。白河グリーンスタジアムまでバスで全校応援に行った。スクールカラーの青いメガホンを両手に、制服のまま歌い踊った。4-2。勝った。8強だ。「このまま甲子園行ったらどうする?」なんて言いながら準々決勝の日、そわそわして授業を受けた。1点差で清陵情報に敗れた。

清陵情報を決勝で下したのが聖光学院。聖光学院はその夏、甲子園初勝利を収め、福島県勢の初戦敗退連続年数を9で止めた。県内絶対王者となっていった同校に16年春、公立校として8年ぶりに土をつけたのが母校だった。

12年9月、JR常磐線富岡-竜田間の線路は雑草で埋め尽くされていた
12年9月、JR常磐線富岡-竜田間の線路は雑草で埋め尽くされていた
いわき市出身のロッテ渡辺啓太投手
いわき市出身のロッテ渡辺啓太投手

18年、5年ぶりにロッテ担当になった。ドラフト5位で入ってきた、いわき市出身の渡辺啓太投手(26)と話して驚いた。「僕、学法石川戦見に行ってましたよ」。高3夏のあのスタンドに、兄の応援で渡辺少年も訪れていた。当時野球が仕事になるなんてみじんも思っていなかった高校生と小学生が、十数年後に担当記者とプロ野球選手として会う。世界ってつながってるんだなと思った。

東日本大震災で常磐線が途切れて9年。同窓会でいわきに戻っても、実家まで帰ることはかなわなくなった。この間、浪江町に入ったのは1度きり。15年3月に取材で入った時だけだ。今月5日、全線開通を前に5年ぶりに浪江を見に行った。レンタカーでいわきから国道6号を北上した。一部避難指示が解除され、少しではあるが確実に、前回と景色が違った。

街中に検問やバリケードがない。放射線量計の携帯が必須じゃない。小学校は依然封鎖されていたが、除染真っ最中だった浪江東中はなみえ創成小・中学校として生まれ変わった。隣には児童館。未来なんてなくなったように感じていたふるさとで、子どもがキャッチボールしていた。

3年間、毎朝通った浪江駅に降り立った。設置された線量計は0・206マイクロシーベルトを示している。国の基準値を下回る数値だ。ホームを前にすると、高校生の自分が隣に見えるようだった。「このまま甲子園行ったらどうする?」とそわそわしていた私へ。後輩たちが、やってくれたよ。

磐城が21世紀枠で出場を決めたセンバツの開催可否は、きょう11日の臨時運営委員会で最終決定される。原発事故で避難して、昨秋の台風で市街地が大規模浸水し、今度は感染症が流行。16、17歳の人生にいくつ試練が与えられるのかと苦しくなる。電車が通り、放射能やウイルスを気にせず息が吸えて、思いきり勉強や運動に打ち込める-。待ち望む「普通」が近づいていると信じて、次は電車で、浪江に帰ろう。(この項おわり)【鎌田良美】

全線開通を控えるJR常磐線の浪江駅
全線開通を控えるJR常磐線の浪江駅
4日、14日の常磐線全線開通に向けて試運転する車両
4日、14日の常磐線全線開通に向けて試運転する車両

◆鎌田良美(かまた・よしみ)兵庫・姫路市生まれ。4歳で大阪・茨木市から福島・浪江町に引っ越し、18歳まで過ごす。浪江幼稚園、浪江小、浪江東中、磐城高卒。津田塾大英文学科から09年、日刊スポーツ入社。編集局スポーツ部五輪班を経て、10年4月に野球部配属。アマ野球、ロッテなどを担当。