今でも私の心に、鮮明に残るシーンがある。

03年センバツ、準決勝。東洋大姫路(兵庫)-花咲徳栄(埼玉)は延長15回、両者譲らず。延長15回制になり春、夏通じて初めての引き分け再試合となった。延長15回を戦い終えた後、報道陣の前に立った花咲徳栄・岩井隆監督(50)は、二言三言、話した後「すいません、ちょっと中断してもよいでしょうか」と記者からの質問を遮り、泣きじゃくっていた水谷俊一内野手の元に歩み寄り、優しく声をかけた。「お前は相手の右翼手の人生を救ったんだよ。な、そう思えばいいじゃないか」。そう話し、肩をポンポンとたたくと、水谷は小さくうなずいた。 1分、1秒でも早く、水谷に救いの声をかけなければ、この子は立ち直れなくなる。そんな指導者の熱い思いを感じたシーンだった。

 
 

この試合、花咲徳栄のエース、福本真史投手と東洋大姫路のエース、グエン・トラン・フォク・アン投手との息詰まる投手戦が続き、延長10回まで、得点ボードには0点が並んだ。しかも、試合途中からナイター照明がともされ、慣れないナイターでのプレーに、選手たちの動きが少しずつ狂い始めた。岩井監督は当時を振り返り「ナイターでの試合に慣れていなかった。しかもアン君は前半の真っすぐ中心から後半は変化球中心に投球パターンを変え、お手上げ状態。何とか相手のエラーや四球を待つしかなかった」と話す。

その言葉通り、延長15回、試合が動いたのは両軍の失策だった。1-1で迎えた延長15回表。東洋大姫路の右翼手がナイター照明とボールが重なり落球。2死一塁から花咲徳栄は3番・川嶋仁徳内野手の内野安打で勝ち越した。

この回を守れば勝って終われる。しかし、その裏。花咲徳栄にも、ミスが起こる。2死三塁から、東洋大姫路4番・前川直哉外野手が打った当たりは三遊間へ。遊撃手の水谷が積極的に前へ出て捕球を試みたが前にはじき、その間に三塁手が本塁を踏み同点に。勝利は一瞬にしてこぼれ落ち、同点のまま翌日の再試合が決まった。

岩井監督は「このショートゴロは難しい球だった」と話す。前日の雨で、甲子園の内野にはたくさんの砂が入れられ、打球速度にブレーキがかかっていた。この試合前、シートノックが終わった後、岩井監督は水谷とこんな会話をしている。

「ボールは転がってきているか?」

「いいえ、きていません」

それなら、と内野ゴロが内野安打になる可能性があるから「思い切り前に出ろ」とアドバイスをしていた。東洋大姫路の内野陣も同様で、この日は簡単なゴロも積極的に前に出てさばいていた。15回裏、水谷の守備も、積極的に前に出た結果の失策。誰も、水谷を責めることはできなかった。もし、15回裏を守りきり、花咲徳栄が勝っていたら…。15回表に失策した東洋大姫路の右翼手は自分を責めるはずだ。岩井監督が泣きじゃくる水谷にかけた言葉は、罪悪感を少しでも救うための、優しさにあふれていた。

泣きじゃくる水谷の姿に、この日220球も投げたエース、福本真史も心を動かされていた。「明日は絶対に自分が投げて勝つ」そう心に決め先発を直訴したが、その疲労は想像に難くない。岩井監督は福本の先発回避を決めたが、エースのプライドに、最後はエース対決だと心に決めた。

再試合の先発は、両軍ともに2番手投手が先発。福本は左翼で先発出場した。4-5、1点ビハインドで迎えた8回表、東洋大姫路のエースのアンがマウンドに上がる。前日の191球、15回を完投したとは思えないほどのキレのある投球だった。「思った以上に早く出てきた」と岩井監督。9回表の攻撃に望みをかけた。2死二塁を作ると、打者は福本。「エース2人のプライドのぶつかり合い。アン君は勝負球の真っすぐでくる」と岩井監督の指示通り、福本は真っすぐを左翼線へ適時二塁打に。執念の一打で同点に追いついた。喜びに沸く甲子園。しかし、岩井監督の心は違った。「勝ち越せなかったのが痛かった。福本はもたない。正直、ここで負けを覚悟した」。同点のまま9回裏のマウンドに向かった福本の球は、本調子とはほど遠い。何とか9回裏を抑え、再試合も延長に突入した。

10回裏。初球の真っすぐを右越え三塁打とされた。その瞬間、岩井監督はエースの表情の変化を見逃さなかった。「福本がマウンドでちょっと笑ったんです。その時、あぁ、コイツ覚悟を決めたと感じました」。日ごろから選手に話してきたのは「全部出し切ればそれでいい」。福本の笑顔には完全燃焼の思いがこぼれ出ていた。2者連続の敬遠で満塁とし、2日間で投じた242球目。得意なスライダーを中指にわずかにひっかけ、痛恨のサヨナラ暴投。マウンド上に両手、両膝をつき、うなだれた。エースとして気力だけで臨んだ福本は「最後は逃げたくなかった。監督の教えでもあったから。それを貫けた」。完全燃焼の242球だった。

03年4月、センバツ準々決勝の再試合、10回裏東洋大姫路無死満塁の場面で花咲徳栄・福本(左)は暴投でサヨナラとなる
03年4月、センバツ準々決勝の再試合、10回裏東洋大姫路無死満塁の場面で花咲徳栄・福本(左)は暴投でサヨナラとなる

当時の私の取材ノートには、2試合を終えた岩井監督のコメントとして「悔いはありません。秋から必要以上につらい練習をさせた。正直、ここまでやってくれると思いませんでした」と記されている。積極的なプレーと、エースの熱投。完全燃焼の2日間は、センバツの歴史に深く刻まれたはずだ。

暴投サヨナラ負けを喫し号泣する花咲徳栄・福本
暴投サヨナラ負けを喫し号泣する花咲徳栄・福本

岩井監督は当時を振り返り「やればできる、と私がいちばん勉強になった」と話す。新チームスタート時、ボール回しさえもできなかったチームが「これを乗り越えたら強くなれる」を合言葉に、1つ1つ階段を上った。1%でも可能性があるなら、必要なこと、できることを増やしていけば勝てる。「それは今の徳栄野球に根付いている。そして、試合で力を出し切ることで、達成感を学ぶのです」。花咲徳栄、岩井監督の原点となった。

試合後、岩井監督は選手たちに「君たちは、ベスト5のチームだよ」と奮闘をたたえた。5位のチームの2日間に及ぶ涙と笑顔は、今も私の心の中に焼き付いている。【保坂淑子】