<巨人1-2阪神>◇2011年(平23)5月5日◇東京ドーム

578日ぶりの復活勝利から1時間後、東京にいた阪神岩田から記者に電話がかかってきた。

「すまん! ホンマ、すまんかった…」

開口一番、謝り続ける。

「いやいや…そんなことより、おめでとう」

なんとか紡ぎ出した言葉は震えていたと思う。

11年5月、巨人戦で肘の手術以来、久々の勝利を飾った阪神岩田は、ヒーローインタビューを終え涙をぬぐう
11年5月、巨人戦で肘の手術以来、久々の勝利を飾った阪神岩田は、ヒーローインタビューを終え涙をぬぐう

11年5月5日のデーゲーム。岩田は敵地でラミレス、小笠原、長野、坂本らが並んだ巨人打線を7回1失点に抑え、09年10月4日以来の白星を手にした。

10年3月に左肘を手術。地道で過酷で先が見えないリハビリをようやく乗り越えた瞬間だった。ヒーローインタビューでは「腐らずにと思って今日までやってきました…」と涙。それから1時間がたったころ、携帯電話の着信音が鳴った。

記者はこの日、地元の兵庫県にいた。岩田とは同い年。リハビリの一挙手一投足を追いかけさせてもらってきた。もちろん復活勝利は現地で見届けるつもりでいた。ただ、この日だけはどうしようもなかった。

3日前の5月2日、実母が55歳で亡くなった。5月5日は葬式当日。携帯テレビを急きょ購入して、葬式場から原稿を送った。

その日、いただいた弔電に目を通していると、「阪神岩田稔」の名前を見つけた。驚いた。気を使わせたくなかったので、訃報を伝えていなかったからだ。

「ありがたいね」。家族でしんみりした数秒後、記者は思わず噴き出してしまった。宛先の記者の名前が間違っていたのだ。「陽介」ではなく「陽一」。みんな一斉に大笑い。悲しみに明け暮れていた家族に、一時だけ笑顔が戻った。

岩田は復活の白星を挙げるまで、開幕から3戦3敗。追い込まれ、とても人にかまっていられる状況ではなかったはずなのに…。球団関係者から訃報を聞き、弔電を送る手順を一から勉強してくれたらしかった。

人に頼まず、慣れない作業を1人で頑張った末の天然ミス。誰もがその優しさを感じ取り、葬式場にほほ笑ましい空気が流れた。

岩田から電話がかかってきたのは、母を天国へ見送って落ち着いたころ。そろそろ「おめでとう」と連絡しようかと思っていたタイミングだった。

「試合終わって『うわっ名前間違えた!』って気付いて…。やらかした! ホンマすまんかった!」

勝利の余韻に浸る暇もなく謝り続ける左腕に、申し訳ないやらありがたいやら…。その優しさが身に染みて、大笑いしながら感極まりそうになった。

全国的には巨人小笠原が通算2000安打を達成したゲームとして知られている一戦。岩田は人知れず、白星と笑顔を葬式場まで届けてくれた。あれから9年。5月5日がやって来るたび、「陽一」という名前を思い出す。(所属は当時、敬称略)【佐井陽介】