<ダイエー1-0オリックス>◇2000年(平12)10月7日◇福岡ドーム

千年紀の最後を飾るにふさわしい世紀の決戦、ダイエー-巨人の日本シリーズが、間もなく始まろうとしていた。巨人の黄金時代を築いた両雄、王貞治と長嶋茂雄の直接対決が、ついに実現する。2000年秋。決戦を待つ福岡の街は華やぎ、人々の足取りは軽やかに見えた。

栄光の巨人を追われ、捲土(けんど)重来を期して福岡へ。王は94年、ダイエー監督に就任した。ラーメン店に1人でふらりと訪れ、気軽にサインや写真撮影にも気軽に応じる「世界の王」を、市民は熱烈に迎えた。福岡移転当初、県外資本のダイエー進出に、不快感を隠そうともしなかった地元財界も支援の声を上げた。福岡の人々の胸に去来したのは、その昔、王と同様、巨人を追われ、九州で常勝・西鉄ライオンズを築いた知将・三原脩の姿だったろう。日本シリーズで巨人を3年続けて破った、あの痛快な物語を、王に重ねて夢を見た。

だが、「明日にもON決戦か」と前のめりな博多っ子の思いをよそに、王ダイエーは低迷した。福岡ドームは空席が目立ち、一部のファンは公然と采配を批判した。しまいには「頼むから辞めてくれ」と懇願される始末。敗戦に怒ったファンが、王らの乗ったバスを取り囲み、生卵を投げつけたとされる「事件」も起きた。

長嶋は、変わらず球界の中心にいる。だが、王は九州の弱小球団にてこずって、ファンの罵声を浴びる日々。栄光も称賛もほしいままにした「世界の王」にとって、耐え難い屈辱だったに違いない。そのころ、親しい在京の元スポーツ紙記者が、失意の王を励まそうと福岡を訪ねた。散歩中の王を見つけて、背後から声を掛けると、鬼の形相で振り返った。いつどこで、ののしられるかと、常に身構えているのだろう。形相が、福岡での王のすべてを物語っているようだった。

00年、優勝インタビューを受けるダイエー王監督
00年、優勝インタビューを受けるダイエー王監督

だが、ダイエーはフリーエージェント(FA)や逆指名ドラフトで、他球団やアマ球界のスターを集め、着々と戦力を整えて99年、福岡移転11年目、王監督就任5年目で初優勝を果たす。そして迎えた00年のシーズン終盤。ON決戦が現実味を持って語られはじめたころ。王が家族と天神の街を歩いていると、家電量販店の店先で、巨人戦の中継が流れていた。私生活では野球を離れる王が足を止めた。「この回まで見ていこう」。家族は驚き、納得もしたという。「やっぱり巨人が気になるんだ」。

10月7日、福岡ドーム。小久保裕紀の決勝ソロで1-0とオリックスを下して、リーグ連覇を決めた。背筋を伸ばし、両手を水平に広げて宙を舞う王。スタンドには泣いているファンもたくさんいた。インタビューに答える王の目は潤んでいるようだった。

「念願のON対決が実現できました。この優勝は去年の何倍もうれしい」。一呼吸おいて「だが、やる以上は勝たなければならない」。

屈辱の果てに手にした栄冠。誰もが待ち望んだON決戦。福岡のファンとの約束の日。王の言葉には、万感の思いがにじんでいた。

  ◇  ◇

20年前の私は、ONが知人に漏らした肉声を取材ノートに書きとめていた。

長嶋 この2000年のミレニアムでON対決になるなんて、奇跡だぞ。

王 ミスターも派手に決めたな。みんな注目するだろうな。しかし、こんな簡単に実現するとはなぁ。

(球場名など当時、敬称略)【秋山惣一郎】