<イースタン・リーグ:巨人6-1ヤクルト>◇1993年(平5)4月10日◇高知・春野

巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜のプロ1号といえば、93年5月2日。デビュー2戦目となったヤクルト戦(東京ドーム)の9回裏、高津臣吾(現ヤクルト監督)から右翼席へ放った一打とされている。だが、正確に表現すれば、そのアーチは1軍初本塁打。本当の意味での“プロ1号”は、約3週間前に記録されていた。

93年4月、ヤクルト戦でイースタン・リーグでの初本塁打を放つ巨人松井
93年4月、ヤクルト戦でイースタン・リーグでの初本塁打を放つ巨人松井

同年4月10日。1年目の松井は、高知・春野でイースタン・リーグの開幕戦を迎えていた。キャンプイン後、フリー打撃では豪快弾を連発したものの、オープン戦ではノーアーチどころか、打率1割にも届かず低迷。開幕直前、2軍行きを通告された。その際、文字通り奥歯をかみしめながら「落としたことを後悔させたい」と、珍しく悔しさを隠そうとしなかった。

迎えたプロ初日。約800キロ離れた東京ドームでは、長嶋茂雄監督の復帰初戦となる開幕戦が予定され、超満員のファンが刻一刻と迫るプレーボールの瞬間を待っていた。始球式は、当時トップアイドルだったミポリンこと中山美穂。テレビカメラがズラリと並び、多くの野球好き有名人が駆け付け、華やかな空気に包まれていた。いつもはだらしない服装が多い報道陣も、スーツにネクタイ姿で、いざ開幕に備えていた。

一方、南国情緒漂う快晴の土佐は、春のうららかな陽気に包まれ牧歌的な雰囲気が漂っていた。若手主体だった各紙各局の松井番記者は、いつも通りカジュアルな服装。ほぼ緊張感はない。東京の1軍戦が異様に盛り上がることは間違いなく、松井の記事は短い原稿で済むはずと、高をくくっていた。口々に「ミポリンに会いたかったなあ」とぼやきつつも「今夜はやっぱりカツオのタタキだな」などと、試合後の食事だけでなく、夜の繁華街へ繰り出す算段まで立てていた。

そんなもくろみは、数時間後に吹っ飛んでいた。7回裏、松井のアオダモの白バットが、のんびりしていた記者席の空気を一掃した。同じドラフト1位で、同年に新人王を獲得する先発伊藤智仁(現楽天1軍投手チーフコーチ)から、右翼席後方のクスノキを直撃する2ラン。木がなければ、確実に場外へ消えたはずの特大弾だった。しかも打ったのは、今や伝説とされる伊藤の宝刀スライダーだった。「内心うれしいんだから、少し静かにしてください」。試合後の松井がなだめるほど、瞬時にして報道陣はごった返した。

93年4月11日付日刊スポーツ東京最終版
93年4月11日付日刊スポーツ東京最終版

取材後は、初アーチの原稿のほか、当時の部長の思いつきで異例の長文メモを書くハメになり、締め切り時間に追われた。当時の日刊スポーツには「初めっからこんなヤツいらないと言われて落とされたし、後悔させたいと思ってましたから」という、松井の強烈なコメントが掲載されている。言うまでもなく、東京ドームの長嶋監督へ向けたひと言だった。これほど松井が感情を表に出したのは後にも先にもこの時だけではないだろうか。

当時18歳。ほころぶ松井のニキビ面は、今も忘れられない。その夜、カツオのタタキを口にしたかは、まったく記憶に残っていない。(敬称略)【四竈衛】