ともに第7戦までもつれ込んだ1992年(平4)、93年の日本シリーズは「史上最高の選手権」として名高い。日刊スポーツ評論家の田村藤夫氏(60)は、野村ヤクルトと森西武がしのぎを削り合う姿をネット裏で目撃している。当時を回顧する。

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92年の日本シリーズは西武とヤクルトの知将対決だった。第2戦を神宮球場で見た。ラジオ解説のため、川上哲治さんと解説ブースからじっくり見させていただいた。

先発の荒木(現日本ハム2軍監督)はシュート、カーブを駆使しながら緩急をつけていた。西武秋山への第1打席はインコースを攻め、2打席目はそれを受けて外の変化球で仕留める。打者攻略という観点から、打席はつながっていた。リードは伊東、古田がしていたが、まるで森、野村の両監督がサインを出しているような感覚を抱いた。

ふと、解説者だった野村さんの言葉が浮かんだ。

カウント2-1や、3-1など打者有利のカウントでは、バッテリーはストライクがほしい。そういう時、インコースでストライクを取りにいって、コースが甘くなると長打になる。そこで、シュートがある投手はインコースを有効に使える。シュートは内角に食い込んだり、落ちたりする。だから、打者有利なカウントで内角を待つ打者がシュートをファウルし、ストライクを稼ぐことができる。

日本シリーズを見ながら、野村さんの解説を思い出す。85年以降、私は日本ハムの正捕手として定位置をつかんでいた。そのころ、野村さんはテレビ朝日で解説をされており、野村スコープが話題だった。

1年に数試合、日本ハム戦をテレビ朝日が放送すると必ず録画した。野村さんの解説を学ぶためだった。野村スコープで自分の配球をどう分析し、評価するのか知りたくて帰宅すると食事も忘れて、一心不乱に画面に見入る。ストライクゾーンが9分割されたスコープ画面を見ながら、解説に聞き入った。

先述したように、野村さんはカウント別でデータを蓄積していた。そこから傾向を導き、野村スコープによって捕手の狙いと打者の思惑、そしていかに投手が正確にコントロールできたか、できなかったかを解説していた。

今となっては球界の常識になり、高校生もよく理解しているが、野村さんが分かりやすく解説をして広まったものだ。

日本シリーズを見ながらそんな記憶がよみがえってきた。川上さんとは初対面で大変緊張し、うまく話せなかったが、次第に試合に没頭した。その中で感じたことは、打者の裏をかくという考え方ではなく、両捕手はよく打者を観察していた。狙い球を見極め、違うボールで勝負している、そんな配球に映った。

92、93年と野村さんと森さんのシリーズを解説させていただいた。もちろん、プロとして、パ・リーグの覇者となりヤクルトベンチにいる野村さんと対戦したかった。解説席でその思いを強くしたことを覚えている。伊東、古田が、捕手出身の監督から多くを学び、晴れ舞台で雌雄を決する姿がうらやましくもあった。