ヤクルト時代、野村さんの周りには常に担当記者がいた。そして、評論家はあまり近寄らなかった。評論家の多くは、好んで野村さんの元にあいさつに来なかった、と記憶している。

94年5月、巨人戦の試合後、報道陣に囲まれるヤクルト野村監督
94年5月、巨人戦の試合後、報道陣に囲まれるヤクルト野村監督

記者に囲まれていたので声をかけづらかったとも思うが、本当は記者の前で野村さんに核心を突く質問をされたくなかったのだと推察していた。例えば「どうしてあの球団を辞めたのか」「あの評論家は今度はどこの監督を狙っているのか」など、デリケートな部分を正面から突いてくるからだ。

だから、なのかもしれない。ヤクルトの打撃練習が終了する間際だけ、打撃ケージの野村さんにあいさつに訪れる評論家がたくさんいた。なぜそのタイミングなのか。練習が終われば必然的に野村さんはベンチ裏に引き揚げる。つまり、長居はしたくないが、形式的にでも礼儀は通したい。痕跡を残すための「野村詣で」として、その一瞬だけはにぎわっていた。

それを野村さんもよく分かっていて「俺にあいさつに来ながら、いかに素早くこの場を離れようとしているか、その心理は手に取るように分かる」と、楽しそうに分析していた。

記憶している中で、何度も姿を見せてじっくり話をしていたのは、江本孟紀さん、森祗晶さん、現巨人監督の原辰徳さんなど数人だった。それを孤独とも感じていなかった。「俺と話すと損をすると思ってるんでしょ」と達観していた。

番記者とは担当を離れた後でもよく覚えていて、会話が弾む場面があった。ある日、広島市民球場の記者席に顔を出した野村さんは、元ヤクルト担当記者と遭遇する。「なんや、今年は広島担当か?」。そう言いながら、ぶっきらぼうに久しぶりのあいさつを交わすと、すかさず「ヤクルトの内部情報を広島に暴露してるんやろ」と、先制口撃を仕掛けた。

するとその記者は「監督、安心して下さい。広島の首脳陣にはヤクルトのうその情報を伝えて、足を引っ張っておきました!」と、即答した。なかなかとんちが利いていた。今度は野村さんが間髪入れずに「う・そ・を・つ・け!」と笑いながら全否定。その場にいた数人は声を上げて笑った。何とも言えない心地よい時間だった。

ベンチで前日の試合のポイントを、打者心理、投手心理、捕手心理、ベンチワークを含めて解説してくれた。それを「結果論」として冷めて受け止める選手も少なからずいたが、野村さんは勝因、敗因を突き詰めていた。特に敗因は問題点を明確に、そしてそれを分かりやすく整理して伝えようとしていた。

評論家の中では異端の存在だったが、野村さんから野球を教えてもらった野球記者にとって、共に過ごした時間は代え難い財産になっている。【井上真】