<日本ハムVS.ダイエー>◇03年8月10日◇あづま球場

エチェバリアが死んだ。48歳だった。2月10日の本紙に小さく載った訃報を読んだ俺は、きっと遠い目をしていただろう。

日本ハムがまだ東京にいたころに来日した外国人選手で、ファーストネームを「エンジェル」といった。米大リーグに7年、日本ではわずか2年の在籍で、あまり活躍しなかったから、覚えている人は多くないかもしれない。

04年5月、3打席連続本塁打を放ち声援に応えるエチェバリア
04年5月、3打席連続本塁打を放ち声援に応えるエチェバリア

2003年(平15)8月10日、俺は福島県営あづま球場で、日本ハム-ダイエー戦を観戦した。吾妻連峰のなだらかな山並みが薄暮に染まるころ、試合開始を告げるアナウンスに促され、日本ハムの選手たちがサインボールをスタンドへ投げ入れながら守備位置に散っていく。夕日に照らされたグラウンドを、左翼へと駆けていくエチェバリア。投げたボールは、糸を引くように俺の手元に飛び込んできた。まるで俺に向かって投げたようだった。縁を感じた俺は以後、球場に行くと、彼の姿を探すようになった。活躍する姿はあまり見ることができなかったが、190センチを超える長身、短いひげをたくわえた威圧的な外見と対照的な優しい目をしていた。

「エンジェルは、静かで控えめで、プライドの高い選手でした」。チームメートだった森本稀哲は振り返る。古き良き時代のジ・アメリカンというたたずまいが印象に残っているという。森本には、忘れられない試合がある。04年5月1日、札幌ドームでのオリックス戦。エチェバリアは3打席連続本塁打の大活躍でチームを勝利に導いた。お祭り騒ぎのベンチをよそに、エチェバリアは、静かに汗をぬぐっていた。

「もっと騒ごうぜ、喜ぼうぜと、僕たちが盛り上げても、エンジェルは『3本ぐらいで騒ぐなよ』『このぐらい普通に打つぜ』と言いたげでした。これがメジャーリーグのプライドかと思ったものです」

一方で「死球を食らって、痛みのあまりベンチで泣いていたこともあります。乱闘の際は頑張ってほしいと思っていたけど、死球で泣いてるようじゃあてにならないな、とみんなで笑ったことも思い出です」。打てない日が続き、迷ったり悩んだりしてもいたようで、スタンドから見る彼は、いつも自信なさげで寂しそうに見えた。

「エンジェル」エチェバリアのサインボール。17年前、このボールは今は亡き、彼の手にあった。応援団からもらった応援歌の歌詞カード。歌詞に在りし日の勇姿が浮かぶ
「エンジェル」エチェバリアのサインボール。17年前、このボールは今は亡き、彼の手にあった。応援団からもらった応援歌の歌詞カード。歌詞に在りし日の勇姿が浮かぶ

04年オフ、出場機会も減って自由契約となった彼は、米国に帰っていった。マイナーや独立リーグでプレーを続けたという話もあるが、確かなことは知らない。48年の人生で日本で過ごした2年を覚えているだろうか。日本のプロ野球ファンも多くが、彼を忘れてしまったかもしれない。だが、サインボールを受け取った俺だけでも若すぎる死を悼み、遠い目をして彼の応援歌を口ずさむ。

<歌詞>天国から われらに舞い降りた天使 今日も豪快なホームラン エンジェル

(つづく)【秋山惣一郎】