<中日VS.ダイエー>◇99年10月28日◇日本S第5戦

1999年(平11)秋の福岡は、ダイエーの初優勝で沸いていた。パブリックビューイングは人であふれ、街のあちこちで球団歌が聞こえる。球団は「便乗セール」を推奨し、小さな商店から大手の百貨店まで優勝セールで大にぎわい。プロ野球が街を一色に染め上げる光景を初めて見た俺は、感動していた。「プロ野球がある街って、いいなぁ」と。

福岡ドーム前のショップで買ったメガホン。日本シリーズのプログラムの表紙は、ダイエー(現ソフトバンク)城島健司と中日野口茂樹の「両A面」的な作り
福岡ドーム前のショップで買ったメガホン。日本シリーズのプログラムの表紙は、ダイエー(現ソフトバンク)城島健司と中日野口茂樹の「両A面」的な作り

日本シリーズは、中日との対戦と決まった。54年の西鉄-中日以来の福岡-名古屋決戦だ。当時、一般紙の福岡社会部にいた俺は、シリーズに備えて名古屋に向かった。名古屋駅前の巨大マネキン「ナナちゃん人形」は中日のユニホームを着ていたし、タクシーの運転手は、俺が福岡から来たと知ると盛んに日本シリーズの話題を振ってきた。福岡に負けず、名古屋も盛り上がってるようだった。あいさつと打ち合わせを兼ねて名古屋の社会部に立ち寄った。「こちらも盛り上がってますね」と俺。でも名古屋のデスクは、どこか冷めていた。「中日は、親会社が同業だからね」と。俺は何だか拍子抜けした気分だった。

10月28日、ダイエーは中日を6-4で破り、日本一を決めた。中日ファンで埋まるナゴヤドームには、落胆が広がった。宙を舞うダイエー、王貞治監督。ぞろぞろと出口へ向かうファンが、シリーズ開催を告げる看板を蹴飛ばしている。よほど悔しいのだろう。日本シリーズの祝祭感が急速にしぼんでいくようだった。

俺は、福岡から応援に駆けつけた先輩記者とともに原稿を書き上げ、深夜の名古屋社会部に戻った。担当記者もデスクも不在。どうやら飲みに出たらしい。一方、福岡の新聞はお祭り騒ぎで、スポーツ面、1面トップ、社会面見開き、地方版と「ダイエー日本一」で埋め尽くされたゲラが、ファクスで送られてくる。そこに赤い顔をした名古屋のデスクが帰ってきた。サッと俺たちの手からゲラを奪うと、フンと鼻で笑って「田舎新聞だな」。俺と先輩は顔を見合わせた。巨人やヤクルトが優勝しても東京の一般紙が大騒ぎすることは、まずない。福岡は田舎だから「プロ野球ごとき」で大騒ぎするんだということのようだった。

「じゃあ、名古屋は」と言いかけて、俺は口をつぐんだ。俺は分かっていた。デスクは中日が負けて悔しかったのだ。しかめた赤ら顔にそう書いてあった。「親会社が」と斜に構えていても、地元チームが負ければ、やっぱり悔しい。「プロ野球のある街っていいな」。うれしくなった俺は、福岡の先輩記者と夜更けの街へ繰り出した。俺と先輩は中日ファンを刺激しないよう、小さな声で何度も乾杯した。敵地であげる祝杯は実にうまかった。(つづく)

【秋山惣一郎】