南の島にロッテ河野亮1軍打撃コーチ(49)の野太い声が響いた。「福嶋さん、ありがとうございます!」。若手打者へ投げ終えた福嶋打撃投手が、その声に手を上げて、すがすがしい表情でマウンドを降りた。

松中臨時コーチが話題になった石垣島キャンプ。河野コーチはグラウンドに明るい雰囲気を作りながら「松中コーチも来てくれて踏み込みがすごくできている。かなり順調です」と感謝を重ねた。

昨季、ソフトバンクとの優勝争いは最後に大きく離された。「追い込まれていないのに追い込まれたようになってしまった。距離がとれず浅く振ってしまう。打球も弱く、ボール球を振りやすくなってしまいますよね。CSに行ったらみんな開き直ったのか、スイングが良くなってたので」。重圧をケアしながら、選手たちに向き合っていた。

あの3年が今に生きる。01年に現役引退を決めた直後、スポーツ用品販売の会社でサラリーマンをした。「おふくろが小学校の教師だったので、自分も体育の先生をやろうと思ったんです。でもその前に、社会で勉強しなきゃいけないかなって」。当時30歳、就職活動を決意した。

11社を受験し、有名コーヒーチェーン以外の10社で内定した。履歴書の経歴欄はなかなか斬新で、志望先にも好評。「1年目から12年目までの1軍とか2軍の成績を、全部書いたんですよ」。さて望み通りに満員電車の生活に…と思いきや、どちらかというと始発と終電の日々。日韓ワールドカップが開かれた02年、スポーツ業界は好況だった。

店長職を任された。「体力ならあるからいけるかと思ったけど、始発に終電はしんどかったね」。ある店では30人のアルバイトをまとめる立場に。学生がほとんどで最初は「子どもっぽいな」と眺めていた。少しずつ変わっていった。

「みんな自分たちなりに考えながら仕事してるんだな、っていうのは思いましたよね。今コーチやってても、18や19の子でも、あまり無理やりこうやれって言うんじゃなくて」。

時には深夜まで居残り練習に付き合う。昔を思い出す。ヤクルト時代、1人で夜に素振りをしていたら、野村克也監督から「戦力で期待してるぞ」と言われた。30年たっても忘れないつぶやき。同じように、若者と作り上げてきたものを信じ「さぁ、行こう!」と送り出す。【金子真仁】

◆河野亮(かわの・りょう)1971年(昭46)5月3日、神奈川県横浜市生まれ。日大藤沢から89年ドラフト外でヤクルトに入団。4球団でプレーし、通算185試合出場。本塁打は17本。05年に楽天に入団しフロント業務を経て、15年から2軍打撃コーチに。19年からロッテ1軍打撃コーチを務める。