バックネット裏の解説席に、ブラスバンドの演奏が聞こえてきた。それだけでもう、懐かしさがこみ上げた。録音とはいえ慣れ親しんだ音楽があり、応援団の手拍子があり、スタンドに観客の姿がある。大会を復活させてくださった関係者の尽力に心から感謝する。

天理の達君はいい投げ方をしている。二塁へのけん制を見ても、右肩をしっかり回して腕を振り切り、体幹が崩れない。パドレスのダルビッシュ投手を思わせる投球フォームで、まだまだ伸びると思う。準決勝では東海大相模の強力打線相手にどんな投球をするのか楽しみだ。中京大中京の畔柳君には迫力を感じる。対する明豊は攻守ともに粘り強く、接戦に強い。球数制限のルール上、畔柳君は準決勝は121球まで。どう起用するかもポイントになる。

球数制限導入が決まった時から、各校は複数投手を育てたり、試合の中での再登板を見据えて投手に他の守備位置を練習させるなど、工夫を重ねてきたと思う。初戦が遅いチームは日程上は不利といわれるが、それも組み合わせが決まったときから、監督は準備をされているだろう。

6点リードがあった1回戦で達君が161球完投したとき、球数の多さが取りざたされた。初戦は、慎重に戦うのがチームにとって当然のこと。「あと何球しか投げられない」と数だけにとらわれるのではなく、正しい姿勢で投げているかを見守り、肩肘の状態に注意を払ってやることが肝心。野球をケガで断念する投手を出さないのがルールの根本。成長につながるようにルールを生かす指導者の判断、裁量こそが重要だ。

打席で人差し指を浮かせ構える選手
打席で人差し指を浮かせ構える選手

いい投げ方をしている投手を多く見られた半面、残念なこともあった。バットを握る際に人さし指を立てている打者が、目についた。力の入れ具合をコントロールするのは人さし指。その指を遊ばせていては手のひらでバットを握っているようなもの。バットの先に力を伝えることができず、自在に操ることもできない。それに気付いてほしい。

気になるプレーがあり、忘れられないプレーもあった。専大松戸の左翼手、吉岡君の涙を見た。中京大中京戦の7回2死二塁の守備で、左前へのライナーにダイビング捕球を試み、捕りきれずに決勝のランニング本塁打にした。

ヒーローになる選手もいれば、泣きながら甲子園を去る選手もいる。大事なのは、野球を嫌いにさせないこと。悔しい敗戦でも、のちに笑って振り返られるようにしてやること。それは試合後、指導者やチームメートがどんな言葉をかけるかで決まる。そんな経験も、甲子園があればこそだ。感情を発散させられる場所が、球児に戻ってきた。それが、何よりもうれしい。

中村順司氏
中村順司氏

◆中村順司(なかむら・じゅんじ)1946年(昭21)8月5日、福岡県出身。PL学園から名古屋商大を経て社会人のキャタピラー三菱(当時)に進み、76年からPL学園のコーチ。80年に監督就任。98年センバツ4強を最後に勇退。同年名古屋商大監督就任、総監督を経て18年退任。