長年、オリンピック(五輪)のライバル国といえばキューバだった。「赤い稲妻」と称され、日本が決勝で敗れたアトランタ五輪を含む3大会で金メダル、2大会で銀メダルを獲得。現在はヤンキースの抑えのチャプマン、ホワイトソックスの主砲のアブレイユら、メジャーリーグでも数多くの選手が活躍している。

ヤクルトの投手コーチだった20年前の01年オフ、1月から春季キャンプ前までの期間でキューバで指導したことがある。詳しい経緯などは省くが、現地ではキューバ代表投手、各州の投手コーチ約30人ほどが集められ、彼らに「投球メカニズムを指導するように」と言われた。

当時のキューバのエースは、コントレラスだった。数年後に亡命し、ヤンキースなどメジャー数球団でプレーした。私が課せられたのは、次代のエースの育成で、後釜候補のマエルス・ロドリゲスの指導だった。面談した後、ブルペン投球へ。160キロを超えるボールを見た瞬間、その場で「たまげた」。

能力の高さとともに層の厚さにも驚かされた。20歳で150キロを簡単に投げる投手が4人ほどいた。長身で手足が長く、肩の可動域が広い人が多かった。投球フォームはスリークオーターで、球種はストレートと大きく横に曲がるスライダーが主。これが、当時のキューバでの教育方針のようだった。

今はわからないが、当時のキューバの選手は、ポジションを決める時に一番センスのいい人が遊撃手で次が投手と聞いた。メジャーリーグでも、遊撃出身のキューバ選手が活躍するケースが多いのは、選ばれた精鋭が遊撃手を守るからではないか。

日本球界でもキューバの投手が活躍するが、ひと昔前とは印象が変わった。スリークオーターではなく、中日のR・マルティネス、ソフトバンクのモイネロらのように真上から投げる。ボールの力、スピードは当時と変わらないが、球種は縦のカーブ、スプリットなど多彩である。技術や投球への考え方が変わったのだろう。

中日のロドリゲスは、投手らしい投手。コントロールはアバウトなように見えるが、強いボールをストライクゾーンに投げられる。マウンド上からにじみ出る闘争心も素晴らしく、先発でゲームを作れる。キューバは東京五輪出場は決まっていないが、この3投手の存在を考えれば、手ごわい相手になる。(次回掲載は6月下旬予定)

小谷正勝氏(19年1月撮影)
小谷正勝氏(19年1月撮影)

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から19年まで再び巨人でコーチを務めた。