2021年、パ・リーグの優勝争いはシーズン最終盤までもつれた。球界再編から17年。オリックスが初めてリーグ優勝した。合併で心に深い傷を負った元近鉄、元ブルーウェーブの現、元応援団員。それぞれの秋を取材した。

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日本シリーズ進出を決め、会見で笑顔を見せるオリックス中嶋監督(撮影・上山淳一)
日本シリーズ進出を決め、会見で笑顔を見せるオリックス中嶋監督(撮影・上山淳一)

神戸の女子大生だった1990年代、グリーンスタジアム神戸(GS神戸、現ほっともっとフィールド神戸)の右翼席で、トランペットを吹きまくった。プロ野球の応援団といえば、男性ばかりという時代に、女性だけで作る応援団「関西雨天中止」を結成、団長を務めた。小沢直子さん(46)は、筋金入りのオリックスファンだ。

この秋、「25年ぶりの優勝」をたくさんの人が祝ってくれた。「30年来のファン」として、一般紙の取材も受けた。もちろん優勝はうれしい。でも…。小沢さんは複雑な心境だという。

91年、神戸移転初年度の開幕前、小沢直子さん(右)は神戸市街で大好きな中島聡捕手を見つけて駆け寄った(小沢さん提供)
91年、神戸移転初年度の開幕前、小沢直子さん(右)は神戸市街で大好きな中島聡捕手を見つけて駆け寄った(小沢さん提供)

「確かに私はオリックスファンやけど、私の中では、オリックス・バファローズは、ブルーウェーブとは全然ちゃうチームなんです。『25年ぶり』『30年来』と言われても、比べられへん感じなんですよね。何もかも変わってしまったんで」

1991年(平3)、地元、神戸に本拠を移したブルーウェーブのファンになった。「シュッとしてかっこいい」売り出し中の若手捕手、中嶋聡が大好きだった。「がんばろうKOBE」を合言葉に、震災被害を乗り越えてつかんだ95年のリーグ優勝。翌年は巨人を破って日本一になった。ほんま、うれしかった。イチローが大リーグに行って弱くなったけど、好きだった。いつもGS神戸の右翼席にいた。ブルーウェーブは青春だった。人生のすべてだった。

しかし、04年9月27日、ブルーウェーブは、翌年に合併する近鉄に7-2で勝利し、14年に及ぶ球団の歴史に幕を下ろした。「試合が終わって、選手たちがヤフーBB(現ほっともっと)の外野席に向かって歩いていくのを、内野から見てました。遠ざかっていく背中が、私にさよならと言ってるようで、自分でもびっくりするほど涙が出たんです。私の青春が終わったんや。ほんま、これで最後なんや、と…。強烈に覚えてますね」

それからは、まったく別のチームと割り切って、オリックス・バファローズを応援してきた。

先月12日。オリックスは小田裕也のサヨナラ同点打で25年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。熱心なオリックスファンに育った中学生の娘と小学生の息子、元近鉄応援団の夫と、その瞬間をテレビで見た。「やった!」「打つと思ってた!」。うれしかったけど「25年ぶり」という感慨はなかった。シリーズ6、7戦が神戸で開催されると聞いても「やったらええやん。でも11月末の神戸は寒いやろな」と思っただけだ。本拠もユニホームもチーム名も違う今のオリックスを、25年前のブルーウェーブとつなげて考えることはできなかった。

オリックス対ロッテ 9回裏オリックス無死一、二塁、サヨナラ適時打を放った小田(左)と抱き合う中嶋監督(撮影・垰建太)
オリックス対ロッテ 9回裏オリックス無死一、二塁、サヨナラ適時打を放った小田(左)と抱き合う中嶋監督(撮影・垰建太)

ところが、中嶋聡の勝利監督インタビューで、一瞬にして95年に引き戻された。中嶋は対戦相手がヤクルトに決まったと問われ、「(26年前のシリーズで)負けていますので、何とかやり返したい」「神戸で決めたい気持ちもあります」と応じた。

「この人、普段はブルーウェーブの話せえへんのに、ここでするんや。スンとしてても、神戸への愛があるんや」。クールな中嶋の熱い心の内がちらりと見えて、涙がこぼれて止まらなくなった。神戸へ行こう。26年前、ヤクルトに負けた悔しさを、大好きな中嶋さんと一緒に晴らしに行こう。さっきまで大喜びしていた母の涙を、子供たちが不思議そうな顔で見ている。17年前の「あの日」とは違う喜びと感動の涙だった。【秋山惣一郎】

(つづく)