2021年、パ・リーグの優勝争いはシーズン最終盤までもつれた。球界再編から17年。オリックスが初めてリーグ優勝した。合併で心に深い傷を負った元近鉄、元ブルーウェーブの現、元応援団員。それぞれの秋を取材した。

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東京の近鉄応援団時代の礒部雅裕さん(本人提供、画像は一部加工)
東京の近鉄応援団時代の礒部雅裕さん(本人提供、画像は一部加工)

プロ野球の応援団は、「愛」だけでは務まらない。近鉄バファローズの東京応援団だった礒部雅裕さん(47)は1990年(平2)に「入団」した。「関東の団員は少ないので、1人欠けると応援できなくなる。球場の開門前に行ってました。関東の全試合に加え、名古屋や関西にも遠征していました」。仲間の車に相乗りし、遠征先の応援団員の家に泊めてもらう。野宿も経験した。時間も金も体力も使って、一銭にもならない。愛だけでは務まらないが、愛がなければ続かないのが、プロ野球の応援団だ。

西へ東へ、近鉄を追って駆け回る生活も15年が過ぎた04年。近鉄とオリックスの合併問題が浮上した。デモに署名集めにと奔走したが、近鉄はこの年限りで消滅した。礒部さんは、合併球団を応援する気には、とてもなれなかった。「これまでの15年は何だったんだ。いまさら違うチームの応援などできない」。球団消滅は、人生を否定されたような気分だった。

あれほど「合併反対」と声を合わせてくれた他球団のファンたちは「2リーグ12球団維持」が決まると、何事もなかったように来季の展望を語り始めた。近鉄ファンや応援団の仲間たちは、新球団・楽天に乗り換えたり、合併球団についていったりした。いつまでも近鉄にこだわっているのは自分だけ。孤立感を覚え、すべてに失望して、プロ野球から距離を置くようになった。

04年9月、大阪ドーム(当時)の右翼席で合併反対を訴える近鉄応援団とファン
04年9月、大阪ドーム(当時)の右翼席で合併反対を訴える近鉄応援団とファン

それから何年かたったころ、仕事で会った人とプロ野球の話題になった。

「礒部さんって、どこのファンですか」

「…、近鉄です」

「あぁ、てことはオリックスですね。最近、調子いいじゃないっすか」

悪気はないと分かっていた。それでもやっぱり声が荒くなる。

「近鉄だと言ったろ。オリックスファンなら、オリックスと言うよ」

あえて「近鉄ファン」と名乗った心情を察してほしかった。その話題が、どれほどつらくて悲しいか。調子いいとか悪いとか、どうでもいい。そんな話を俺にしないでくれ。

10月27日、2位ロッテが敗れ、試合のなかったオリックスのリーグ優勝が決まった。近鉄との合併から17年にして初の優勝。礒部さんは嫌な気分になって、そんな自分が嫌になった。

逆恨みだと分かっていても、オリックスを優勝させたくない、優勝すれば、合併が正しかったと証明することになる、と考えてきた。同じ「バファローズ」だから、と01年の近鉄最後の優勝と絡めて語らないでほしい。オリックスは、俺のバファローズとは違うんだ。でも、オリックスファンには、元近鉄応援団の仲間もたくさんいる。合併後の長い低迷期も応援を続けた彼らには、報われてほしい。喜ぶ顔を見たい。久しぶりに会ってみようか。でも、どんな顔をすればいいか分からない。「近鉄応援団」として、多くの時間をともにした仲間たちを素直に祝福できない自分。みんなに申し訳ない。俺は、なんて器の小さい人間なんだろう。

「何とか合併を止めようと、できることは何でもやりました。でも今思えば、いくらあがいてもどうにもならないことだったんですよね。僕だけ04年のまま、2度と電車の来ない廃駅に取り残されたようなもの。もうどこにも行けない。行くところがないんです」

礒部さんは、まだ球界再編の暗がりにいる。【秋山惣一郎】

(つづく)