ロッテの谷保恵美さん(56)がZOZOマリンの場内アナウンサーとして、早ければ16日のソフトバンク戦で通算2000試合担当に到達する。

高校、大学も野球に染まった彼女は、ついに受話器を取った。夢への行動を取った。

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谷保さんは「たまにですよ」と念押しした。高校で1時間目の授業が終わり、弁当を食べた日もある。いわゆる早弁。「たまにですよ」ともう1度念押し。5歳下、当時中学生だった弟の寿彦さん(50)が弁当を作ってくれたこともある。

「弟が作ってくれた弁当は、ウインナーと玉子と、鶏のひき肉がササッと入ってる感じで」

目尻を下げて懐かしむ。帯広三条高での野球部マネジャー生活。年中、休む間なし。練習を手伝い、何百個とボールを縫い直し、秋には畑にも行った。

「バイトです。ジャガイモの大きい小さいの選別をしたり、カボチャを磨いて出荷のシールを貼ったり、コンテナに積んだり。農家さんの一番忙しい時に野球部みんなで行って、部費の足しにするっていう」

普通の公立校。OBにもたくさんノックを打ってもらい、3年夏は北北海道大会の準決勝まで進んだ。最後の瞬間はスコアブックを手に、旭川スタルヒン球場のベンチで。「(後に)ヤクルトの乱橋さんがいた旭川大高校に負けて」。泣いて、燃え尽きて、将来のことなんか何も考えられなくて。

家業の菓子問屋を手伝うことも考えて、札幌の短大へ。朝、アパートの隣部屋の同級生に「おはよう」と会う。でも友達は学校へ、自分は反対方向への地下鉄で円山球場へ。「逆だよ~って言われながら」。大学野球のアナウンスをした。「いつでも行きます」と気合を入れて高校野球や社会人野球にも売り込んだ。やっぱり、野球しかなかった。

意を決して「0798…」とダイヤルを押す。阪神甲子園球場。「場内アナウンスの仕事の募集はありませんか?」。ダメだった。あきらめてたまるか。週刊ベースボールを開く。ページ順に12球団全ての球団事務所に電話した。「募集していません」「球団採用はないですよ」。官公庁の臨時職員や家業の手伝いをして、2年後にリダイヤル。「履歴書を送ってください」と言われた2球団のうちの1つが、川崎のロッテオリオンズだった。

面接で「空きがあれば何でもやります」と熱意を伝え、縁あって採用され、間もなくして本拠地が千葉移転となった。「看板が大きくて、空が狭くて、夜でも明るくて」。十勝とはまるで違う世界で、どんどん人生が変わっていく。

ようやくペースをつかみ始めた5年後、ホッとする出来事があった。資格取得の勉強で、弟の上京が決定。2人で武蔵浦和にアパートを借りた。【金子真仁】(つづく)

20年4月、ZOZOマリンの場内アナウンサー谷保さん
20年4月、ZOZOマリンの場内アナウンサー谷保さん