高校野球の地方大会が7月末で終わった。球児にとって短くもあり、長くもある濃密な3年間。日刊スポーツで「1年目の夏」を体感した新人記者が、盛夏を振り返る。

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「自分の力不足です。悔しい」。涙を流した前橋育英の岡田啓吾主将(3年)の言葉が心に残っている。

今夏の高校野球県大会は波乱が多かった年だと思う。担当した栃木、埼玉で国学院栃木、聖望学園が、準決勝から取材した群馬では樹徳が優勝と、行った県ではノーシード校が甲子園切符をつかんだ。一方で作新学院の11連覇、浦和学院の2連覇、前橋育英の6連覇が阻止された。「すごい」という気持ちもある一方で、負けた方にも胸がつかまれる思いになった。泣きじゃくる姿にどんな重圧の中、厳しい練習を乗り越えたかと思うと、もらい泣きしそうだった。

感情移入するのは自分が当事者だったから。高校時代は千葉・専大松戸のマネジャーだった。1年生の15年に初の甲子園。入部して半年で夢の舞台に行けた。信じられなかった。

だがマネジャーの仕事は想像以上に大変だった。朝、グラウンドに到着すると飲み物作りに洗濯。猛暑の夏は顔中、砂まみれになってスコアを書き続けた。極寒の冬は冷たい雑巾を絞って一日中、部室掃除。ごはんを炊いて「早くして。ごはんベチャベチャだよ」と選手からきつい言葉を浴びせられることも。「なんでこんなことをやってるんだ。辞めたい」と思った時もあったが、意地で2年半やり遂げた。反動から高校野球を見るのが嫌になった時期もあり、母校の夏の応援からも足が遠ざかった。

しかし今回、5年ぶりに高校野球に携わり、取材した。選手がどんな気持ちで夏に挑んでいるのか。ケガや病気から復活した選手、レギュラーを外されて悔しさを抱える選手。心の内を聞いた。「もっと現役の時に選手の気持ちに寄り添っていれば」。2時間半の試合でこれまで人生の大半をかけてきたことが終わる。

当時、母校は毎年春で勝ち、シード校として夏の大会を迎えた。私が3年の時も春の県大会で優勝。「今年はいけるのでは」と期待されていた。重圧下でのレギュラー争いはつらく、周囲への余裕もないほど必死だったのだと今更気づいた。

春日部共栄の19人の女子マネジャーにも気づきを与えられた。野球チーム2つも作れるほどの多さに驚いた。この理由は、本田利治監督(64)の「来るものは拒まない」という方針だ。マネジャーたちは日々49合のごはんを炊き、約300個のおにぎりを作る。1年、2年、3年と学年ごとに冷蔵庫が分けられ、下級生でも気軽に手に取りやすい。五目、枝豆、やきとり、みそなど選手が味に飽きないように、いくつもの具がある。どれも自分たちで発案したものだ。

マネジャー間の仲の良さも目立った。3年生は「1人1人個性が強く、一緒に仕事していると楽しい」と口をそろえる。彼女たちのキラキラとした表情がまぶしかった。私も前向きに仕事をしていれば何か変わったかもしれない。

取材を通じて高校時代にやってきたことは無駄じゃなかった。マネジャーの経験から記者として「普段光の当たらない選手の努力や裏方の苦労があってのスポーツなんだと多くの人に伝えたい」と強く思う。記者1年目。これからも取材に行く。「選手を含め、関わるすべての人へのリスペクトを忘れてはいけない」と心に刻みながら。【星夏穂】(この項終わり)