久保田運動具店の「スラッガー」グラブに用いられる「湯もみ型付け」。その歴史を探るべく、鳥谷敬氏(41=日刊スポーツ評論家)が福岡へ。生みの親、江頭重利氏(90=久保田運動具店顧問)を訪ねた。

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鳥谷が「スラッガー」グラブと出会ったのは早大2年時のことだ。大学の大先輩でもある広岡達朗から直々に譲り受けた。

「うまい人はこのグラブを使うんだ。握らないで、当てて捕りなさい」

巨人で一時代を築いた守備の達人からかけられた強烈な一言は、今も耳に残ったまま離れない。

学生時代、鳥谷にはある悩みがあった。

「それまでのグラブは、はめただけでは合うかどうか分からなかった。カチカチの状態から半年、1年をかけて型付けするしかなかった。それで失敗だったなと感じることもあった」

今振り返れば、型付けに苦労していた時期に広岡と会話したのも、また何かの縁だったのかもしれない。

「湯もみ型付け」を施されたグラブはリスクが少ない。鳥谷は早大3年時から「スラッガー」を使用。18年間のプロ生活を終えるまで手放すことはなかった。

「もちろん、もっといいグラブが出てきたら、替えないといけないとは思っていました。グラブは自分のパフォーマンスに直結するモノなので。でも、そのようなグラブは最後まで見つかりませんでした」

細部を変更しながら、小ぶりなグラブを一貫して愛用。江頭の教えを継承する後輩の1人、和田卓也が「湯もみ型付け」した相棒への信頼は、現役最終年までブレることはなかった。

「グラブの土手に当たった時の吸収の良さはスラッガー特有でした。グラブが選手を育ててくれる部分もかなりあると思うんです」

孫ほどに年が離れた41歳の熱弁に、江頭の目尻が緩む。鳥谷はゴールデングラブ賞を遊撃で4度、三塁で1度受賞。プレーヤーの成功は職人冥利(みょうり)に尽きるのだろう。

「選手がファインプレーした時はうれしくなりました。逆にエラーした時なんかは、直した方がいい部分があるんじゃないか、すぐに電話をかけたものです」

愚直にグラブと向き合い続けた希代の職人は22年、卒寿を迎えた。久保田運動具店はその功績をたたえるべく、9月上旬に90歳記念限定グラブを硬式用、軟式用ともに発売する予定。それほどのレジェンドだというのに、本人は周囲からの評価はどこ吹く風といった様子だから面白い。

「私はちょっと発想が変わっていただけ。そんな大したもんじゃないです」

別れの直前、江頭は「サインをいただいてもいいかな?」と左手で色紙を差し出した。その中指と薬指は小指側に少し折れ曲がり、親指は反り返っていた。どれだけ本人が謙遜しても、グラブをもみほぐし続けた数十年間の過酷さは、隠しきれないものなのだ。

「もちろんです。今日は勉強になりました。ありがとうございました」

名匠の歴史に触れられたからだろうか。鳥谷は充実感あふれる表情のままペンを走らせた。【佐井陽介】

(敬称略、この項終わり)

◆江頭重利(えがしら・しげとし)1932年(昭7)、佐賀・大和町(現佐賀市)出身。小学生時を満州で過ごして46年に帰国。佐賀商を経て51年4月に久保田運動具店に入社。68年7月から福岡支店長に就き、16年7月に顧問就任。野球グラブの「湯もみ型付け」を編み出し、12年に厚生労働大臣から表彰される「現代の名工」を受賞。13年には「黄綬褒章」を受章。