かつてない独立リーグ球団が誕生する。野球インドネシア代表メンバーを主体とした新球団が20日、九州アジアリーグへの加盟申請を行った。佐賀県を本拠に24年シーズンからの参戦を目指す。監督やチーム名は未定だが、手続きが順調に進めば、今夏にも新規加盟が認められる見通し。スリランカ、フィリピン、パキスタンの代表選手も加わる。野球途上国の選手たちに日本でプロの舞台を用意。野球の真の国際化につなげる動きを追った。【取材・構成=古川真弥】

インドネシアで野球を指導する野中氏(野中氏提供)
インドネシアで野球を指導する野中氏(野中氏提供)

新球団への選手派遣は、今年1月にインドネシアの首都ジャカルタに設立された「NEOアジアプロ野球機構」(NAPB)が担う。代表理事を務めるのは野中寿人氏(61)。日大三(東京)時代、捕手として夏の甲子園に出場した元球児だ。01年にインドネシア・バリ島に移住。子どもたちに野球を教え始め、その後、インドネシアやスリランカの代表監督を歴任した。前例のない試みを「モデルケースにしたい」と意気込む。

野中氏とタッグを組むのが福原佑二氏(40)だ。NAPBの日本法人で球団運営を担う「NEO ASIA JAPAN」の代表取締役として、球団代表に就く。福原氏も東福岡で甲子園に出場した元球児で、社会人までプレー。現在は福岡でスポーツ関係の会社を経営する。16年に、東都大学準硬式野球連盟によるASEAN諸国での野球普及活動に参加し、野中氏と出会った。

なぜ、独立リーグに参戦するのか? まずは、インドネシアの野球事情を知る必要がある。

代表チームは東アジアカップ、アジア選手権など、3年に1度ほどの国際大会に合わせて結成される。その期間は国や州から給与が発生するが、普段はアマチュア選手で、別に仕事がある。新球団のメンバーには警官、公務員、学校の野球コーチ、飲食店や工場勤務、配達員に大学生もいる。

代表チームの結成は数カ月に及ぶため、大会ごとに仕事を辞め、大会が終われば再就職活動をする。安定的な生活を捨ててまで、野球に打ち込んでいる。情熱は負けないが、野球で生計を立てるのは不可能。メダルの可能性が低いマイナースポーツゆえ、行政の予算が下りにくい事情もある。日本では当たり前の「将来はプロ野球選手」という夢を子どもたちは抱けない。

インドネシアで野球を指導する野中氏(左)(野中氏提供)
インドネシアで野球を指導する野中氏(左)(野中氏提供)

そこで、独立リーグ参戦だ。NPBやMLBとは規模もレベルも大きく異なるが「プロ」であることには変わらない。有望選手に目標を提供することで国内の野球環境が整備され、育成が進み、レベルアップにつながることが期待される。

インドネシアの世界ランキングは74位。1位日本を筆頭に4位台湾、5位韓国、23位中国のアジア4強に遠く及ばない。アジア圏5位の38位パキスタンでも、4位中国と開きがある。東アジアとの格差は大きい。

だが、野中氏は「(東南アジア、西アジアで)野球が発展していく可能性は高い」とみる。インドネシアの場合、代表監督を務めていた15年当時の野球人口は1万2000人ほどだったが、現在は3万~3万5000人。10年足らずで3倍近くとなった。女子の競技人口も増えているという。

野球人気高まりの背景には、ネットやYouTubeで見られるようになったからと分析する。「以前は裕福な家庭がパラボラアンテナをつけてメジャーを見る程度。時代が変わってきた」。大谷翔平も知られている。この熱を、独立リーグ参戦でさらに高めたい。

指導にはイスラム教国ならではの苦労もあった。左手は不浄とされるため、国内には左投げ投手が限られる。「最近は増えてきましたが、10年前はほとんどいなかった。国際大会で左投手に投げられても、軌道を見たことがない」。ラマダン(断食月)中は練習を制限せざるを得ず、体重維持も大変だ。日本のチームに練習参加させたこともあったが、豚肉はタブー。食事に気を使う。

インドネシアで野球を指導する野中氏(野中氏提供)
インドネシアで野球を指導する野中氏(野中氏提供)

そんな苦労も乗り越え、野中氏は普及に尽力。少しずつ力をつけてきた。新球団の実力は「日本の大学リーグ2部の下位ぐらい」とみる。九州アジアリーグ内で劣るのは承知しているが「野球は守り。エラーさえしなければ、試合はつくれる」と、今季はインドネシアで強化練習を重ねる。既にインドネシアの14人と契約。年末までにスリランカ4人、フィリピン4人、パキスタン2人と契約し、計24人となる。全員、現役の代表選手。インドネシアの135キロ投手に、フィリピンの147キロ投手もいる。

今後の青写真は、こうだ。まずはインドネシアにNAPBを立ち上げたが、支部をフィリピン、インド、サウジアラビア、スリランカなどに広げていく。九州アジアリーグ参戦を足掛かりに、将来的には各国で複数のプロ球団によるリーグ戦を開催し、さらに国を超えた交流戦を展開。いつか、日本、韓国、台湾など、アジアトップレベルのリーグでプレーする選手を-。まさに国際化だ。

野球の五輪競技復活が叫ばれている。アジア全体に普及が進み、レベルが上がっていけば、その1歩となるはず。野中氏は「オリンピックやWBCといっても、野球途上国には全然関係ない大会です。どうあがいても、エントリーできない。メダルが取れない競技に、国は金を出しません」と断言する。現状は、まだその段階だ。独立リーグ参戦は、国の予算だけに頼らず、自分たちで道を切り開く決意表明でもある。「各国の選手、コーチを育成していく中で、5年後、10年後、アジアで4番目の中国を打ち破る。そういう新しい国が出てこないと、やっている意味がない。僕は(今年で)62歳。やって、あと10年。このままでは次の年代に引き継いでいけない」と、現地人の指導者育成も重視する。

インドネシアで野球を指導する野中氏(右)(野中氏提供)
インドネシアで野球を指導する野中氏(右)(野中氏提供)

では、なぜ佐賀県なのか。アジアから近いこと、国際空港があること、九州アジアリーグ所属のチームがないこと等が挙がる。経済面の期待もかかる。既に、日本国内の複数企業からスポンサーの問い合わせが入った。人口2億7000万を抱えるインドネシアを始め、巨大マーケットへの取っかかりとなれば魅力的。同時に、日本進出を狙うアジア企業のスポンサーやインバウンドも期待できる。町おこしにつなげたい考えがある。特定の自治体1つを本拠地とせず、県内広域で球場などの拠点を確保していく計画だ。

大宰府の時代から、九州には“アジアの玄関口”が置かれた。千数百年の時を超え、令和の世に野球でもアジアの玄関口となるか。5月にはジャカルタで球団設立記者会見を開く。順調に手続きが進めば、夏には来季からのリーグ戦参加が認められる見通し。選手たちは仕事を辞めたり、大学を休学したりしてまで、異国の独立リーグに夢をかける。挑戦が始まった。

18年に日本インドネシア友好親善の功績などに対し、日本大使館から表彰される野中氏(左から2人目)(野中氏提供)
18年に日本インドネシア友好親善の功績などに対し、日本大使館から表彰される野中氏(左から2人目)(野中氏提供)

◆野中寿人(のなか・かずと)1961年(昭36)6月6日生まれ。東京・大田区出身。日大三の捕手として79年夏の甲子園出場。日大卒業後、フィリピン、サイパンなどで働き、01年インドネシア・バリ島移住。04年から子どもたちに野球を教え、06年バリ州代表監督。07年以降インドネシア代表監督を2度務める。09年アジアカップ優勝。18年には日イ友好親善の功績などに対し、インドネシアの日本大使館から表彰される。19年にはスリランカ代表監督を務め、西アジアカップ優勝。

◆九州アジアリーグ 21年開始の独立リーグ。初年度は火の国サラマンダーズ(熊本)大分B-リングスの2球団。22年から福岡北九州(現北九州下関)フェニックス、23年から宮崎サンシャインズが加わり現4球団。ソフトバンク3軍、4軍戦も公式戦として実施。火の国・石森大誠投手が21年ドラフト3位で中日入り。元ヤクルト内川聖一内野手は大分でプレー中。

右から元ロッテ投手の香月球団副代表、福原球団代表、野中NEOアジアプロ野球機構代表理事、山下球団取締役(福原氏提供)
右から元ロッテ投手の香月球団副代表、福原球団代表、野中NEOアジアプロ野球機構代表理事、山下球団取締役(福原氏提供)

■元ロッテ香月良仁氏が副代表

新球団の副代表は元ロッテ投手の香月良仁氏が務める。代表の福原氏とは社会人野球・熊本ゴールデンラークスの第1期同期生。現在は熊本でスポーツ振興や町おこし事業を手がける。もう1人の球団取締役の山下翔一氏は株式会社ペライチの創業者。地方盛り上げ事業やアスリートのセカンドキャリア支援にも取り組んできた。佐賀出身で、地元球団誕生へ向けペライチを退職。転身した。