第97回選抜高校野球は30日、横浜(神奈川)の19年ぶり4度目の優勝で幕を閉じた。大会期間中の取材から、日刊スポーツ担当記者が「センバツ 熱戦の舞台裏」を全4回で紹介する。
第1回は監督就任から苦節5年を経て、名門復活を印象づける戦いで頂点をつかんだ横浜・村田浩明監督(38)。
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選手たちの前では絶対に泣くまい。グッとこらえていた涙がこぼれるのは、時間の問題だった。村田監督は「閉会式で行進しているときに、ちょっと涙が出ちゃいました。すごい立派に見えたんでね。親心みたいな」としみじみと語った。智弁和歌山を破り19年ぶり4度目の春制覇への感慨以上に「この子たちと勝てたことがとにかくうれしかった」と喜びが勝った。
名門復活を印象づけた今大会。その大きな要因が、指揮官の長期的な視座だ。「『石の上にも3年』とはよく言いますが、3年では本物の力は出ない。野球は5年だと思うんです」。そう力強く訴える原点は、指導者キャリアのスタートとなった神奈川の県立高時代の経験にある。
日体大卒業後に霧が丘の野球部長、13年秋から白山で野球部監督を務めた。初日の練習は4人で行い、キャッチボール相手や打撃投手を引き受けた。苦労が実を結んだのは、就任5年後の18年夏だ。北神奈川大会で8強入りし、一躍脚光を浴びた。「公立校が全てでした」。当時の教え子たちとの交流を今も欠かさない。
母校の再建は一筋縄ではいかなかった。22年夏を最後に甲子園の舞台から遠ざかり、OBからは心配の声も出た。昨夏の神奈川大会決勝で東海大相模に敗れたことを契機に伝統に重きを置く方針を見直し、公立校で培った「全員野球」を徹底した。6回1死三塁で登板した片山大輔投手(3年)の1球リリーフが象徴するように、出し惜しみせず全員で戦う。白山時代と同じく、就任5年での成果につながった。
今大会前には帯状疱疹(ほうしん)にかかり、大阪入り後も病院通いの日々。グラウンド内外で重圧と闘った。自身は捕手として1学年上の成瀬善久(BC栃木)、同期の涌井秀章(中日)をリードし03年センバツ準優勝に貢献したが、あと1歩頂点には届かなかった。だからこそ「俺を超えてもらいたい」と大会中に何度もハッパをかけた。期待通りの監督超え。紫紺の大優勝旗を手にしたが、ここがゴールではない。
「ありがたいことに勝って反省が見つかった。まだまだ。これが終わりではない。次は春の県大会が待っているので、そこでいい仕事ができるように選手と一緒に準備していきたい」。勝ってかぶとの緒を締める。“シン横浜”の強さの秘密を垣間見た。【平山連】
◆村田浩明(むらた・ひろあき)1986年(昭61)7月17日、神奈川県川崎市生まれ。横浜では1年春からベンチ入りし、正捕手として甲子園は03年春準優勝、04年は主将として夏8強に貢献。日体大卒業後、県内の霧が丘で野球部長、白山で野球部監督を経て、20年から母校の監督に就任。家族は夫人と1男。




