「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」。第3回はパ・リーグを、野球界を変えた男、新庄剛志氏(46)の登場です。引退後、初めてというスポーツ紙の取材に応じ、阪神、米大リーグ、日本ハム時代のエピソード、当時の考え、今の球界に思うことまで、新庄流に楽しくぶっちゃけます。

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新庄は常にぶっ飛んでいた。「ジーンズが似合わなくなるからウエートトレーニングはしません」「夕食? 菓子パン。だって太りたくないもん」。実際には裏でトレーニングを続けていたようだが、その破天荒さはプレーにも表れた。

99年6月12日の巨人戦(甲子園)で、まさかの敬遠球打ちをやってのけた。同点の延長12回1死一、三塁。槙原が立ち上がった捕手光山に投げた外角高めの中途半端なボール球に、体を伸ばしながら、バットをたたきつけた。

新庄 3日前の広島戦でも敬遠されたんです。ずっと見てたら、これは打てると思った。柏原打撃コーチも、現役時代に敬遠球をホームランにしていたし、その師匠は野村さん…、これつながる、すごいじゃん、と思った。柏原さんが野村さんに伝えたら「あの目立ちたがり屋が、勝手にせぇや」となった。やるときは柏原さんの方を見るという約束だったけど、テレビカメラに目線が映ってないか心配でした。柏原さんからのOKサインは帽子を取ることでしたが、何度もやるから、ばれる、ばれるって、心臓バクバクだったんです。

打球は前進守備のショート二岡の左を抜けて、レフト前に転がった。4時間41分を戦った末のサヨナラ勝ち。監督の野村は「ふふっ、宇宙人みたいなやつやな」と苦笑した。

新庄 柏原さんから、ちょっとずつ前に出るように言われてた。槙原さんも、なんでこんなバカに敬遠しなくちゃいけないんだって顔してるんですよ。チョコチョコと前に出て、来た~っ! って打ったの。試合後、巨人のミーティングで、長嶋さんが「次、新庄がバッターのときは、新庄の背中の後ろに投げろ」って言ったらしいのよ。長嶋さんって、すごい人だねぇ。

この年、野村は春季キャンプから、新庄を投手としても挑戦させている。巨人とのオープン戦にも登板。野村はテンションを上げれば乗りまくる性格を把握していたのだった。

阪神でのプレーが最後になった00年3月31日の横浜との開幕戦では、プロ11年目で、初の「4番」に座った。自己最多28本塁打を放ったが、チームは3年連続の最下位に落ち込んだ。

毎年、オフの契約交渉では、球団事務所にランボルギーニ・カウンタック、ランボルギーニ・チータ、フェラーリなどに乗ってさっそうと登場したが、00年だけは様子が違った。

10月30日にFA権を行使。阪神をはじめ、ヤクルト、横浜が争奪戦を演じたが、その行き先はまたしてもサプライズだった。阪神は5年12億円の大型契約を提示したが、新庄が選んだのは年俸2200万円のニューヨーク・メッツだった。

新庄 アメリカでスターになれば、世界的スターになれると思った。ぼくが欲しいのは、お金じゃなかった。アメリカンドリームです。(敬称略=つづく)【編集委員・寺尾博和】