新庄劇場のラストイヤーになった06年は、どの球場も盛況だった。開幕直後の衝撃的な引退宣言に、ファンは引きつけられた。

新庄 阪神に入団して2年目に東京ドームでデビュー(91年9月10日)し、代打でヒットを打った。だから思い出の東京ドームでと心に決めていたんです。そしたらどこの球場も満員になった。

05年も5位と低迷していた日本ハムだが、本人はちょっとした異変に気付いていた。

新庄 プロ野球に入る選手の実力はほとんど一緒じゃないですか。ファンがいる中でのプレッシャーで、自分の力を出せるか、出せないか。緊張して出せない選手ばっかなんですよ。人気のないチームは日本シリーズで優勝できない。「今日は満員や、打てなかったらどうしよう…」という選手ばかりだったのが、当たり前のように「今日も満員っすか」という。よっしゃ!と思った。

その最終年も話題を振りまいた。春季キャンプで、グラブなど野球道具を入れるベースボールバッグはルイ・ヴィトン社製で約60万円の代物だった。札幌ドームの開幕戦は、ハーレーダビッドソンのトライクを運転しながら守備位置に就いた。本塁打を打つごとに「○○打法」と命名。「優勝するん打法」、引退宣言の当日は「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」と名付けた。

新庄 広報がプレス用にコメントを求めにくるんですよ。どういう感じで打ちましたか? って。「今のは真っすぐ待ちだったんですが、スライダーが来たのでタイミングをずらして打ちました」とか面白い? 「ピッチャーが頑張ってたので」って、うそつけ!だから「前夜テキーラ飲み過ぎて、ふらふらになりながらホームランになっちゃった打法」とか、そっちの方が面白いよね。

トレイ・ヒルマンが監督として率いたチームは、25年ぶり、自身初のリーグ優勝を遂げた。プレーオフを制し、対中日の日本シリーズで44年ぶりの日本一。10月26日の日本シリーズ第5戦(札幌ドーム)が最後の打席だった。3勝1敗で王手をかけた一戦、8回裏。中里の全3球ストレートに空振り三振に倒れた。

新庄 日本一? すごいね。でも、もっとすごいの(中日捕手の)谷繁さん。後ろで「泣くなよ、真っすぐいくぞ」って。「谷繁さん、これ日本シリーズですけど…」。まだ勝ちの可能性があるのに「いくぞ、泣くな」って。すごい、いい人だなぁと思って。ファウル、ファウルより、もう格好の悪いことしたくない。3球三振でありがとうですよ。その8割は谷繁さんにありがとうです。スタンドも全部真っ赤だったから、うれしかったです。

「日本一」「札幌ドームを満員にする」といった約束を果たした。17年間のプロ野球人生の締めくくりには「セ・リーグには負けたくなかった」と言った。

新庄 常に満員の甲子園に慣れてたから、日本ハムでは「なにこれ?」って感じだった。どうやってファンを集めるかの計画ばっかし考えていた。チームには雰囲気のある選手が絶対必要なんですよ。それだけでファン層は変わってくる。おれが新球団を持ったら? チーム名は「パラダイス」です!(敬称略=つづく)

【編集委員・寺尾博和】