2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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「これからは、パ・リーグです!」

2004年(平16)7月11日、長野市の長野オリンピックスタジアム。この日のオールスターゲームでMVPを獲得し、お立ち台に上がった日本ハムのSHINJO(新庄剛志)は、右手人さし指を天に突き上げた。7日のオーナー会議で飛び出した「もう1つの合併案」「10球団1リーグ」構想に異議を突きつけるかのようなヒーローインタビューに、球場を埋めた約2万7000人の観衆は、やんやの喝采を送った。

その数時間前。第1戦の舞台、名古屋から長野に向かうJR特急しなのに、オールスターの実行委員、巨人を除くセ・リーグ5球団の幹部が乗り合わせていた。

「ちょっといいですか」。ある球団幹部の席に、阪神の球団社長、野崎勝義がやってきた。野崎は雑談めいた話の後「2リーグ維持」へ協力を求めてきた。

前日、名古屋市で開かれた12球団代表者会議は、1リーグが、すでに前提となっているかのように進んだ。「しょせんパの話」と、たかをくくっていた近鉄とオリックスの合併。だが、これが1リーグへの布石だったことを、いまさらながら思い知らされた。

1リーグは、セにとっても死活問題だ。ドル箱カードの巨人戦が減れば、球団経営を直撃する。「1リーグは、経営難のパ救済のためではないか」「なぜ、パのためにセが損をしなければならないのか」「巨人のやり方は強引だ」。不満や疑問はあるが、球界の盟主、巨人に対し、異議を唱えるのははばかられる。セ5球団の結束を呼びかける野崎は、他球団幹部の席も回っているようだ。本音は反対-。でも巨人が言うのなら仕方ない。およそ3時間の移動の間に、そんな話がこもごも交わされた。各球団の温度差を抱えたまま、特急しなのは長野駅のホームに滑り込んだ。

じりじりと、しかし緊迫したやりとりが続いていた。

12球団の代表者、理事が集まる実行委員会が3日後に迫った7月23日の午後。東京・神田の巨人球団事務所で、巨人と阪神の球団幹部各3人が向き合っていた。

阪神は、交流戦の実施を含めた2リーグ維持へ向けた試案を作成。改めてセ4球団と公式に会談し、意見を取りまとめた上で乗り込んできた。

「なぜ『反巨人連合』という談合的なことをするのか。強い不快感を持っている」。巨人は、試案の中身には触れず、阪神の動きを痛烈に批判した。

「このままでは、訳の分からないうちに(1リーグが)決まってしまうと他球団も言っている」

「1リーグと決まったわけではない。議論する前になぜ先走って巨人以外を回り、意見集約しようとするのか」

「このままではダメだから(阪神が)言い出してくれ、と2球団から話があった」

巨人は痛いところも突いてきた。

「(試案は)阪神球団の総意なのか。報道によると、オーナーの考えは違うようだが」

この日朝、スポーツ紙は、阪神のオーナー、久万俊二郎が「1リーグやむなし」と発言したと伝えていた。

「オーナーは、試案とは別のことをおっしゃっているようだ。変わる可能性のある案を議論するのか」

巨人はさらに「いかなる状況でも2リーグという方針は変えませんね」と、阪神を追い込んでいく。

「来季1リーグは早すぎる。もう1年議論しようということだ」と阪神が反論。

「話のトーンが変わってますね。球団を代表しているとは思えません」とあしらう巨人。

阪神側は「10球団なら1リーグ不可避」とする巨人を止めようと、他の4球団を回った上で乗り込んだものの、逆にやりこめられて約1時間20分の直接会談は終わった。翌日の日刊スポーツ1面には「巨人激怒 門前払い 阪神真っ青」の大見出しが躍った。1リーグ阻止へ向けた阪神の「セ界取りまとめ」に暗雲が垂れこめた。(敬称略=つづく)【秋山惣一郎】

04年7月24日付日刊スポーツ1面
04年7月24日付日刊スポーツ1面