記者席でアナウンスを聞いて「やった!」と思ったのを覚えている。喜びの「やったー」ではなく「やっぱり…」の意味だ。

2013年(平25)7月6日のソフトバンク戦。楽天星野監督は、3-4の3回に動いた。先発戸村が勝ち越しを許し、なお2死三塁で3つ目の四球を与えると堪忍袋の緒が切れた。杉永球審に投手交代を告げる。名前を聞いた同球審は驚いた顔をした。「則本」。前日5日に先発したばかりのルーキーを告げられた。

場内はざわざわした程度だったと記憶している。「中0日」の中継ぎ登板を即座に理解した人は案外、少なかったのかも知れない。5日はプロ最短1回5安打4失点。27球でKOされていた。自身3連敗で6敗目を喫し、丸1カ月、勝ち星から遠ざかっていた。

気配はあった。前日に先発した投手は、練習後は引き揚げる「あがり」が通常だが、ベンチ入りメンバーに則本の名前があった。佐藤投手コーチが明かした。

「監督に言わせたら罰みたいなもん。あがりなんかダメ。怒っていた。『ブルペンに入れとけ!』と。まだ若くて実績もない。今の則本とは立場が違う」

ナイター明けのデーゲーム。則本はチーム宿舎の朝食会場で、同コーチからベンチ入りを告げられ「ベンチで勉強しろ」ということだと受け止めた。中継ぎ待機の可能性は考えなかった。だが、森山コーチからは「投げるかも知れないぞ」と言い添えられた。前夜の試合後、星コンディショニングコーチからも「明日の朝、体をチェックしよう」と言われていた。星野監督なら中0日登板をやる…誰も言われていたわけではないが、周囲は察していた。

則本はガムシャラだった。当時の記事には「昨日はコントロールを意識し過ぎました。今日は腕を振りました」とある。3回1/3を2安打無失点に抑え、久々の7勝目を手にした。ちょうどシーズン半分の72試合目。チームは貯金10の首位で折り返した。

荒療治で目が覚めた。6日の勝利を皮切りに5連勝。1敗を挟み、さらに3連勝。最終的には、15勝8敗、防御率3・34で1年目を終えた。田中(現ヤンキース)の24連勝に注目が集まったが、ルーキーの15勝が楽天の初優勝に直結した。

なぜ星野監督は中0日で登板させたのか。「昨日、則本は投げたか? 俺の記憶にはないなぁ」。おどけたコメントが残っているが真意はもう聞けない。ただ、よく「いつの間に先発は中6日になったんだ?」と言っていた。「先発はなあ、負けたら、ずっとモヤモヤが続くんだ。投げて、次に勝つまでな」と自らの経験を繰り返していた。佐藤コーチの言う「ムチ」よりも、悩めるルーキーに挽回チャンスをすぐ与える「アメ」だったように思う。

則本は「転機だった」と語っている。改めて聞いた。「中継ぎ登板を告げられた時は『今日、打たれたら2軍だな』と思いました。でも、2軍に行かなかった。そういう意味で、転機でした。今、野球を続けられているのは星野さんのおかげです」。

1カ月勝てなかった原因は「不調ではなく、試合の入り方を意識しすぎていたから」。中継ぎ、しかも走者を背負った場面。試合の入りも、何もない。ただ開き直って腕を振り苦境を切り抜け、一本立ちした。佐藤コーチは「則本に期待していたから」とも言った。星野監督の妙手が球界を代表するエースを生んだ。【古川真弥】