地に足がつかなかった。2000段以上の階段を上がった。大阪の下町、新世界にある通天閣。高さ103メートル、階段は503段ある。2001年(平13)、12年ぶりにリーグ優勝を果たした近鉄梨田昌孝監督(当時48)に同行し、普段は入れない内部の階段を使って4度登頂した。決行日は10月8日。15歳のときに亡くなった指揮官の父豊さんの命日だった。

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優勝したら、通天閣を階段で上る-。その年の1月、梨田監督はロングサイズのラークをくゆらせながら優勝公約をぶち上げていた。監督1年目は「道頓堀川に飛び込む」だったが、あえなく最下位。「やっぱり落ちるより上る方がいい。1歩、1歩ね」。これが現実になるとは、通天閣の神様ビリケンさん以外、誰も信じていなかっただろう。

シーズンの戦いは、もうめちゃくちゃだった。序盤に大量失点しても、中村紀洋、タフィ・ローズ、吉岡雄二を軸とする強力打線が猛反撃。最後には試合をひっくり返すパターンだった。「神懸かり」「奇跡的」。何度も記事に書き込んだ。ローズは王貞治の持つシーズン最多55本塁打(当時)に並び、泣いた。最終的なチーム防御率はリーグ最低の4・98ながら打率2割8分、本塁打は211本。盗塁はたった35個と、まさに「いてまえ打線」だった。小林繁投手コーチ(故人)が「5点取られても勝つ。見てるファンは楽しいだろうけど、こっちはたまらんぞ」と嘆いていたのを思い出す。

そんなミラクル軍団の象徴的な試合が9月26日、大阪ドームでのオリックス戦だった。3点を追う9回、無死満塁。北川博敏が中堅左へ代打逆転満塁サヨナラ優勝決定アーチをかっ飛ばした。プロ野球史上初の優勝シーンに超満員4万8000人が沸騰した。

「夢みたい。何をしているのか分からない」。北川も、取材する側も頭は真っ白。用意していた原稿はすべて吹っ飛んだ。何をどう取材して記事にしたのか。地に足がつかず、夢の中にいるようだった。北川の人懐こい笑顔が、ビリケンさんに見えたのは気のせいか。

もっとも、ビールかけは缶ビールをチョロチョロと頭にこぼした程度。9月11日に米中枢同時テロが発生していた。自粛ムードの中、優勝旅行もなし。ド派手なペナントがウソのように、控えめで寂しいオフだった。3年後には球団が消滅した。

今でも、ふと思うときがある。あの北川の1発は、夢の中の出来事だったのか、と。【西尾雅治】

01年9月26日、代打満塁サヨナラ本塁打を放った北川を迎える大喜びの近鉄ナイン
01年9月26日、代打満塁サヨナラ本塁打を放った北川を迎える大喜びの近鉄ナイン