ススキノのジンギスカン店は、ニンニクとラムの焼けるにおいが充満していた。日刊スポーツが「史上初の惨劇」と1面で取り上げた敗戦の夜。楽天の守護神・福盛和男(当時33)はススキノの有名店「だるま」にいた。下戸の彼は、酒も飲まずにジンギスカンをほおばっていた。

コの字形のカウンター、客は日本ハムファンだらけ。劇的勝利にアルコールの勢いも加わり「今日は福盛のおかげだ」との声が聞こえる。向かいのカウンターの客と目が合うと「どうも、その福盛です」と言って、また食べ続けた…。

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創設5年目の楽天が、初めてクライマックスシリーズに進出した2009年(平21)10月21日。札幌での第2ステージ初戦、イーグルスは9回に逆転サヨナラ満塁本塁打を打たれて負けた。打ったのは日本ハム・スレッジ。打たれたのは福盛だった。

8-4の4点リードが守れなかった。先頭の金子誠を二飛。1死から田中、森本、稲葉の3連打で1点を失い、高橋に四球で満塁に。スレッジの2球目、1ストライクからの外角速球を逆方向の左翼席に運ばれた。逆転サヨナラ満塁本塁打は、ポストシーズン史上初だった。この1球で、楽天の敗退は決定的となった。

「常に強気」が信条。試合後も「永井とチームの勝ちを消してしまって残念」と毅然(きぜん)と話した。ただ、翌日聞くと「さすがにこたえました。ジンギスカンの後は、サウナで小山(現2軍投手コーチ)と反省会ですよ」とダメージの大きさを打ち明けた。珍しくヘコんでいる守護神に、三木谷会長(当時)も「お前がいなかったら2位になれなかった。何も気にするな」と声をかけたという。

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マスクをかぶっていたのは中谷だった。今年から智弁和歌山の監督として、センバツに出場した中谷仁だ。スレッジの名前を出すと「1球の怖さを痛感した試合ですね」と即答した。「1球目がチェンジアップで空振りだったので、もう1球チェンジアップかフォーク…『落ちる球を』とサインを出したのですが、首を振る。外角真っすぐのサインを出したら、すぐにパッとクイックで投げたんです。『ああっ』と思ったら、本塁打でした」と、よどみなく振り返った。

試合後、野村監督に配球を問われた。最初に落ちる球を想定したと話すと「それで正解なんだよ!」と怒られたという。「自分のサインを押し切るとか、タイムをかけるとか、後悔は残ります」と今も悔しそうに話す。

今年初めて指揮した甲子園で、母校・智弁和歌山は準々決勝で明石商(兵庫)に敗退。「センバツもサヨナラ本塁打で負けました。僕、反省できていないですね。もう1回反省してます」と言う。ただ、こう続けた。「だから野球は面白い。10割勝てるスポーツではないので」。1球の記憶は、語り継がれることで生き続ける。【金子航】