佐々木の転機は珍プレーだった。松本市立(松本美須々ケ丘)との準々決勝。0-0の3回、7番の佐々木は右中間を破る快打を放った。

 一塁を回り、二塁を回り…三塁へ向かった。三塁で止まろうとしたら、どこからか「ホーム行け~! 走れ~!」と声が聞こえた。

 佐々木 中継のボールがそれたのかもしれないと思って走った。そうしたらホームの5メートルぐらい前で捕手がボールを持って立っていた。面倒くさいから突っ込んじゃった。

 ヘッドスライディングをするも悠々とアウトにされた。先制の好機を逃した。

 佐々木 あとで「誰がホームに走れと言ったんだ?」と確認したら、おやじなんですよ。おやじは「信也に甲子園で1本(本塁打を)打たせたかった」だって。もう、いい加減なんですよ。そんなんで勝っちゃうんだから。

 父久男は監督だった。このホーム突入は、公私混同…父親としての指示だった。こんなところからも、すでに全国1勝の目標を達成し、気楽だった様子がうかがえる。

 試合は1-1のまま9回を迎えた。のちにプロの大毎、近鉄で活躍する4番打者の小森光生を擁する相手と互角に渡り合った。

 9回裏。湘南は1死から6番の宝性一成が内野安打で出塁し、二盗に成功した。続く佐々木は、右翼線にサヨナラ二塁打を放った。

 佐々木 おもしろいもので、チャンスをつぶした者がヒーローになった。それでだんだん乗ってきました。

 6番宝性、7番佐々木はラッキーボーイ・コンビだった。4番で主将、エースだった田中孝一が回想する。

 田中 甲子園では2人が得点源だった。信也は内向性のかわいい坊ちゃん育ちで、宝性は中国から引き揚げてきた苦労人。対照的だったけど、2人とも打っても喜ばないタイプだったなあ。

 北四国代表の高松一との準決勝では、宝性がサヨナラ打を放った。途中から雨が降り出す中、2-2の同点で延長に入った。10回裏、湘南は1死満塁から決めた。4打数1安打の佐々木は次打者サークルにいた。

 佐々木 宝性さんが打てなかったら打ってやろうと思っていたのだけど。

 高松一には、のちに「怪童」と呼ばれる中西太がいた。佐々木と同じ1年生だった。中西は4打数2安打1打点だった。

 佐々木 相手のサードにすごいのがいて、私と同い年だと。3番打者ですごかった。試合でガンガン打っていた。同級生とは思えぬ打球の速さに驚きました。

 試合後から雨が強くなり、第2試合の岐阜-倉敷工戦は4回途中でノーゲームになった。この雨が決勝を左右した。

 この夜、エースの田中が体調を崩した。

 田中 準決勝をやっと勝って。決勝まで来たからいいやとホッとしたら、夜に38度から39度の熱が出たんです。

 佐々木 第2投手は私なんです。これでは勝てないと思いました。

 ただ、雨のおかげで翌日はノーゲームになった準決勝だけが行われた。湘南は決勝まで中1日があった。田中は回復した。

 一方の岐阜はノーゲームを含めると5連戦。前年夏の甲子園4強の強豪だが、疲労度には差があった。(つづく=敬称略)

【斎藤直樹】

(2017年5月30日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)