春は27年ぶりに出場した14年センバツで池田が劇的1勝を挙げ、アルプススタンドの畠山たちOBは高らかに校歌を斉唱した。

 「池田高校で学んだわけではないですが歌えますっていう人がたくさんいるんです」

 関東在住で畠山と同学年だった82年夏の優勝メンバーとは、年末などに会う機会をつくっているという。一塁手の宮本修二、三塁手の木下公司、遊撃手で“恐怖の9番打者”山口博史、投手の内藤隆司。「水野(雄仁)も来ます。1学年下ですけど特別参加」。荒木大輔はじめ早実の当時のメンバーも来る。「大輔とはオールジャパンも一緒だったから、昔話などをしています」

 82年夏の甲子園決勝前日に話を戻そう。池田の宿舎、網引旅館で決勝へ向けた報道用取材が行われた。テレビ局もいる。

 「先生(蔦)は照れ屋なところがあるので、カメラが回っているところでは、選手に『私を日本一の監督にしてください』などと声を掛け、笑わせた。取材が終わったあとです、僕だけ監督の部屋に呼ばれた」

 3度目の決勝で、なんとしても優勝したいという気持ちは互いに分かっていた。そして…。

 「監督の部屋で言われたのは、もし決勝で負けたときでも、お前はたぶんジャパンに選ばれる。でも優勝したら、うちのメンバーも人数的にちょっとは選ばれるから、みんなのためにも優勝したい。そういう話をしました」

 池田は勝った。12-2で広島商を下した。畠山は4安打で完投した。日本一になった8月20日、日本高野連が27日から3日間、大阪球場で行われる日韓親善高校野球大会の日本選抜チームのメンバーを発表。池田の9人に早実・荒木らを加えた計17人の名があった。畠山は「ほんとに、優勝したらレギュラー全員選ばれましたからね」と栄誉をかみしめていた。

 小説「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞した山口瞳は、野球にも詳しかった。山口の作品のひとつ「草競馬流浪記」に、岡山から高松を経て高知へ向かう際の記述がある。

 〈琴平を過ぎると、たちまちにして山が高くなる。池田なんてのは、ほんとに山の中にあり、右も左も山また山。池田高校野球部は強いわけだ。自然に足腰が鍛えられる〉

 池田の戦いぶりは多くの人に強烈な印象を残し、校歌も記憶に残った。今年2月5日、畠山は荒木と一緒に栃木・小山にいた。「先生の孫が製作した、先生の映画の上映会に行きました。1200人近く入っていました」。上映会は全国各地を回っている。「エンディングで校歌が流れますが、お客さんが手拍子をしてくれたんです。驚いたし、うれしかったですね」

♪しののめの 上野が丘に 花めぐり

 そびゆるいらか みどりこき

 阿讃の嶺と きそうなる

 これぞわれらが学びの舎

 ひかり ひかり ひかりを呼ばん

 たたえよ 池高

 輝く 池高

 池高 池高

 おお われらが 池高♪

 耳になじんだメロディーが、いまもどこかで奏でられている。(敬称略=おわり)

【宇佐見英治】

(2017年7月12日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)