長短打の応酬となった浪商と箕島(和歌山)の決勝戦だが、明暗を分けたのは7回裏だった。浪商が6-5でリードしていたが、牛島和彦が1死から4番北野敏史に同点ソロを浴びた後、上野敬三に三塁打を許した。

 7回裏1死三塁。箕島の6番森川康弘をカウント1-2に追い込んだ。ここで尾藤公がだしたのはスクイズのサインだった。森川のプッシュバントが牛島と一塁手川端新也の間に転がった。

 川端 箕島に強い印象はもってなかったです。でもよくバントをやられた。捕り損ねたんですね。

 牛島はとっさにマウンドを下りる反応をみせた。しかしボールはグラブの下をすり抜けた。逆転スクイズを決められた瞬間、体は前につんのめるようだった。

 牛島 バントされて飛び込んだんじゃなくて、倒れた感じです。もう限界でした。チームのためを思えば、ぼくが投げてないほうが絶対に良かった。分かんないですけどね。

 箕島は8回にも1点を加点、9回には浪商が1点差に迫ったが、7-8で敗れた。試合後の尾藤は「こんな苦しい試合をしたのは初めてだが、高校生らしい試合をできたのが一番うれしい」と笑顔をみせた。

 箕島は3回にもバントを仕掛けて得点に結びつけていた。「バント作戦」が的中したのだ。箕島の「1番捕手」だった嶋田宗彦は練習の成果を強調する。

 嶋田 うちは尾藤さんが全員に徹底してバント練習を課していました。一塁と投手の間に石灰でバツ印をつけて、そこを何度も、何度も狙った。それが本番で成功した。今思えば「甲子園戦法」というのかな。浪商は強かった。でも神様がこっちに味方してくれたと思っています。

 試合後の牛島と香川は対照的だった。牛島は目を赤く腫らしながらも「振り返る気にならない」とサバサバとしていたが、香川は「これから決勝をやり直したい」と声を上げて泣いた。

 牛島 そこが違ったんでしょうね。香川は実力があったけど、ぼくは力がないと思ってずっときてました。(香川は)悔し涙だったのかもしれないけど、よく泣いていましたよ。

 ただ1つ、この2人が共通していたことがある。泣き虫の香川も、クールな牛島も甲子園の土を持ち帰らなかった。牛島-香川にとって2度目の甲子園は、頂点まであと1歩のところで幕を閉じたが、早々と夏に気持ちを切り替えたのだ。

 3年春のセンバツ準優勝によって、浪商フィーバーに拍車がかかる。大阪府の高校グラウンドには連日1000人を超えるファンが詰めかけた。チームメートだった寺山雅秀はその光景を説明する。

 寺山 ファンがグラウンドにあふれたのは事実です。ほんとは入ってこられないのに、勝手に入ってくるんです。牛島がブルペンに動くとOL、女子高生、女子大生が一緒に動いた。香川は自分が納得するまでバッティングをするんですが、後ろで見ていたのは、お年寄りとちびっ子でした。

 2人にとって、いよいよ最後の夏がやって来た。

(敬称略=つづく)

【寺尾博和】

(2017年7月31日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)