08年秋。総距離数約1450キロの四国八十八カ所の行程を、高嶋仁は41日間で歩き通した。1番札所のある徳島を歩き始めたときは1日30キロの行程を歩きかねたが、高知は盟友の明徳義塾監督、馬淵史郎との再会に力をもらい1日40キロを、愛媛では55キロを踏破した。道中、名産品を見つけては智弁和歌山の体育科、事務所、自宅に送った。「忘れられたらあかんと思うて」と名物で無事を伝えた。

高嶋 行くときは気恥ずかしくて、トレパン姿にすげがさとかくるんで脇に抱えて行ったんです。帰りはもう全然気にならん。堂々と白衣着てつえついて、バス乗って電車乗って帰ってきた。人の目が気にならんようになってきたんです。自信がついたのでしょう。

すげがさを見ると、身が引き締まった。道中で出会った托鉢(たくはつ)僧に「すげがさ、ちゃんとかぶった方がいいんじゃないですか」と注意された。教えられた通りにかぶっていたつもりが、そうではなかった。お遍路をなめたらいかん、と言われた気がした。

高嶋 野球でいえば、きれいにならしたダイヤモンドをだれかが荒らして過ぎ去ったようなもの。これはあかん、ちゃんとせなあかんと思いました。

辛抱の大事さも教えられた。必死の思いでたどり着いた札所で、受付の最終時刻の午後5時にわずかに遅れ、お納経を受けられないことがあった。僧侶を乗せた車とすれ違い「せっかく来たのに!!」と腹が立った。

高嶋 でも、これも修行と思い直して、次の日、また上がっていきました。

教えられることは多かった。

高嶋 10時間くらい歩いてへたっていた夕方、お接待のおばあさんが「ようお参り。気ぃつけて行きやぁ」と声かけてくれた。それだけで5~6キロ歩けた。うわあ、やっぱり言葉ってすごいなって、自分自身がそのとき感じたんですね。これは野球に使えるなと思うて。選手が困っとるときに、そういう言葉を投げかけたら生き返るなって感じましたね。

遍路道は、野球に続いていた。和歌山に戻り、理事長の藤田照清に納経帳を見せた。「もう1回、やれ」と野球部を託され、その足で向かったグラウンド。「俺でええんか?」と問うた高嶋に、部員は「お願いします!!」と応じた。日常が戻ってきた。

高嶋 歩き終えて一番自分で感じたのは、辛抱というかね。待とうという気持ちが芽生えてきた。(部員を)蹴飛ばしたりするということは、やっぱり焦っとるんです。高校野球は教える期間が短いからのんびりは出来ないのですけど、やっぱり耐える。待つ。選手が育つのを見る。そういうのは、自分ではっきりと分かりました。

高嶋の座右の銘は2つ。「遠離夢想」と「昇悟の機、仰がずんばあるべからず」という空海の言葉。「遠離~」は「今日は今日、明日は明日、なるようにしかならないのだから一生懸命やること」と理解し「昇悟の~」は「強い意志が奇跡を起こす」と理解する。その思いで自身を再生し、9年たった今も、高嶋は甲子園に立ち続ける。(敬称略=つづく)【堀まどか】

(2018年1月10日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)