V8を達成し、宿舎でビールかけをする長嶋茂雄(1972年10月28日撮影) 
V8を達成し、宿舎でビールかけをする長嶋茂雄(1972年10月28日撮影) 

今回は、プロ野球のチームが利用する宿舎の今と昔にスポットをあててみます。そう、ビジターゲーム時の常宿についてだ。各チームとも毎年のことで、宿舎は前もって決めているし、改めて手を打つ必要はない。10月に行われる日程会議で翌年のカードが決定した時点で予約を入れて、部屋をおさえておくのが恒例になっている。ペナントレースは、こうした日程会議等で骨を折った裏方さんの苦労もあってスムースに進行しているが、時は流れている。宿舎は日本旅館から洋式のホテルへ。相部屋から個室へ。その移り変わりを追ってみる。

常宿、プロ野球の各チームが対戦相手のホームグラウンドに移動して試合を行う時に泊まる宿舎。以前はセ・リーグが東京、横浜、名古屋、大阪(神戸)、広島の5カ所で、パ・リーグは札幌、仙台、千葉、埼玉、大阪、福岡の6カ所だったが、現在では交流戦が加わり両リーグの本拠地に広がった。この現象も今と昔の違いのひとつだが、私、日本旅館時代、ビジネスホテル時代、一流ホテル時代と移り変わった流れのいずれも体験してきた。

やはり、現代はうらやましいね。各チームが利用している常宿は、各旅行社が格付けするトップクラスの“Aランクホテル”。グレードアップしたホテルの2フロアか、3フロアがチーム専用。一般のお客さんとは一緒にならない。プロ野球界はナイトゲームが多い。一般の人々とは生活の時間帯が完全にずれている。お互いが迷惑をかけないようにするための措置。ホテル側の気遣いはチームにとっては非常にありがたい。フロアは静かだ。部屋は誰に気遣うことのない個室だ。プライバシーは守れる。自分の時間が持てる。精神衛生上このうえない待遇ですね。

ホテルのグレードアップ。選手にとっては快適だが、戦闘態勢にはいる前の準備をするところ。スコアラーが作成した資料を入念にチェックして、その日対戦する相手の現状をしっかり把握するところ。準備は不可能を可能にする手段でもある。戦場に出陣する直前の大事な場所。常宿の充実は実にありがたい。

時代をさかのぼってみる。私が入団した頃は日本旅館だった。常宿である。毎年お世話になる。家族的であり、親切にしてくれた。確かに居心地は良かったが、なにぶん部屋数が少ない。当時はあたり前、それほど深く考えたことはなかったが、厳しかったのは、やはり相部屋でしたね。2人から5人、10人までで部屋割りはマネージャーの役目だったが、選手の個室は全くなかった。若かりし頃を思い出した。大部屋での雑魚寝。10人ほどいただろうか。

大きなイビキをかくヤツ。激しい歯ぎしりをするヤツ。大声で寝言をいうヤツ。寝相の悪いヤツ。実にさまざまだったが、この中で寝そびれようものなら大変。私など、その日の試合でKOされてなかなか寝付かれない夜があったが、まあ、うるさいのなんのたまらなかった。今思い出すとなぜか懐かしい気がする。大変だった大部屋がいい思い出になっているのが面白い。

相部屋ならではのエピソードは多々あるが、究極の出来事をひとつ。前日はナイトゲーム。朝は遅いが、目が覚めて眠い目をこすりながら部屋を見渡すと不思議な光景が目にはいった。説明すると、寝ているとある選手の両足の間に某選手の頭がはいったまま寝ているではないか。その過程を見ていないのでよくわからないものの、足で頭や顔を蹴飛ばされていてもおかしくないと思うが、そんな気配は全くない。その姿で両選手スヤスヤ寝ているから不思議だ。彼らの日頃の言動は見聞きしている。愉快な性格から推測すると実にこっけいだった。

ビジネスホテルへの移行はチームに随行する人員の増加だった。我々の現役時代といえば、フロント職員の同行はマネージャー。トレーナー。通訳が各一人ずつ。そこに代表が時々加わるのみで、総勢30人前後だったのが、現在では60名を超している。選手を手助けするバッティング投手に捕手。チームを管理する管理部。マスコミとチームのパイプ役として広報部。球団職員が年々増加する。そして、睡眠、プライバシー。選手の要望を聞き入れるなど、プレーを最優先した方針で現在に至っている。球界は進化している。OBの一人としてファンに感謝ですね。

ここで「Question」。日本旅館からホテルに変更して選手が一番喜んだのは……と言いたいところですが賞品がありませんのでお答えします。「玄関のドアです」。旅館は時間がくると施錠して締め出されますが、ホテルに鍵はかかりません。なぜ喜んだか……。ご想像にお任せします。【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)

巨人が利用している福岡市内の宿舎(2016年3月8日撮影)
巨人が利用している福岡市内の宿舎(2016年3月8日撮影)