若いころ、いや今でも時々、デスクから不思議な要求が来ます。ごくごく簡単に言うと、伝えるべきニュースというか新しい中身は実のところ、特にないのだけれど、なんとなく見栄えのする原稿を書いてくれ、ということです。

 こう書いても一般の読者の方々は意味が分からないかもしれませんが、我々の業界、特に関西でいう「やるガン」「雰囲気もの」と呼ばれる記事を書くことです。

 「やるガン」は「やるぞ、頑張るぞ」の略。大きな試合などを前に選手がやる気を見せたというようなものです。「雰囲気もの」に至っては、選手がそういうコメントをしていなくても、なんとなくそういうムードが出ている記事ということです。

 最近は読者のレベルもある意味で上がっており、特にネットのブログなどで本職の記者より面白いネタを書いたりする人もいるそうで、なかなか、そういう「雰囲気もの」だけの記事が通用しない、スポーツ紙の記者にとっては難しい? 時代になっているのは間違いないでしょう。

 そんな中、今でも忘れられないのは23年前の3月に書いた「雰囲気もの」の記事です。

 当時、オリックスの取材を中心にしていた私にデスクが言ったのは「暗雲を吹き飛ばすようなイチローの記事を頼む!」という依頼です。

 当時、オリックスは東京ドームで巨人とのオープン戦を控えていました。その“前もの”の記事でした。

 はっきり書きますがオープン戦はシーズン以上に興行面が強く、ビジネスで力のある球団が、より魅力のあるカードを組もうとします。移動を含めての日程問題など、興行面だけでは、もちろんありませんが、根本的なところではそういうものだと理解しています。

 いま、東京ドームで巨人とオリックスのオープン戦が開催されることはありません。しかしあの頃のオリックスは巨人が東京ドームに呼びたいチームだったのです。

 さて。オープン戦を控えて「暗雲を吹き飛ばすような記事」…とは、どういうことか。

 言うまでもない95年は阪神・淡路大震災が発生した年です。1月17日の、そのショックが消えないうちに3月には東京で地下鉄サリン事件が起こりました。

 一体、世の中はどうなってしまうのか。当時はあまり意識していませんでしたが、バブルも弾け、経済的にも落ち込んでいく。暗いムードが日本を覆いつつあったのです。

 そんな中、球界を飛び越え、日本の大スターとなったイチローが、数少ない光をもたらす存在だったのは間違いありません。

 だからこそ、あのイチロー擁するオリックスが開幕前から東京ドームで暴れるぜ! という究極の「雰囲気もの」原稿の要求が来たのです。こちらもなんだかよく分からない使命感に燃えて記事を書いたことを覚えています。

 震災から23年。自主トレを公開したり、コメントを出したりはあえてしないイチローですが、いつも、こういう趣旨のことを言います。

 「あの年のことは忘れることがありません。神戸の人に、本当に自分たちのプレーを喜んでもらえた。最近の人は『野球で勇気を与える』などと言いますが、そういうことではないと思います。受け取る方が、どう思うかがすべて。自分たちにできるのは全力でプレーすることだけなんです」…。

 そういうイチローが現役を張っている時代をともに生きて、幸せに思っています。イチローは今季の去就が、大きな注目時になっています。大リーグでのプレー継続か。日本球界復帰か。それとも…。

 言えることは、どういう結果になってもイチローがもたらした輝きを忘れることはない。

 阪神大震災から23年、あらためて、そんなことを思っています。