おかしな言い方に聞こえたら申し訳ありませんが、広島4連覇への“理由”ができた。そんな気がして仕方がないのです。

すでに報道されている通り、広島緒方孝市監督の父・義雄さんが5月22日、84歳で亡くなりました。同監督は通夜、葬儀に出席するため同日に予定されていた中日戦(マツダスタジアム)を欠場しました。就任5年目で初めてのことです。

監督不在となったこの試合で踏ん張ったのがエース大瀬良大地投手でした。中日打線を相手に完投勝利。打っては女房役の会沢翼捕手が4号2ランを放つなどの活躍です。その会沢の言葉が奮っていました。

「監督のために、じゃないけど、監督がいなくてもしっかりしたゲームができてよかった」

まさにこのセリフなのです。大瀬良も会沢もこの3連覇の中で鍛えられてきた選手です。

特に大瀬良は以前にもこの欄で書いたように同監督からは、優しい人柄について「グラウンドの外で出してくれ」と言われるなど、勝負に対する姿勢を常に厳しく指導されてきました。

そんな選手たちの活躍で監督不在の試合に快勝したのです。身内の訃報に際し、かつては現場を離れないのが美徳とされた時代もありました。しかし、家族が何より大事という当たり前のことがプロ野球の世界にも浸透し、今回のような行動は当然になっています。

こういうときに大事なのはトップである指揮官に対して、選手が何をできるか、でしょう。その意味で広島の選手たちは大したものだと思います。監督が信頼されていなければ、そういう話にはなりませんし、それができる選手もえらいということです。

ずっと勝っていれば、ともすれば勝つ理由のようなものを見失うときもあるでしょう。しかし父の死は人間・緒方孝市にとって自らに再び気合を入れ直す出来事になったと思います。

緒方監督の母親・孝子さんは95年6月にがんのため51歳の若さで亡くなりました。そのとき、誰よりも悲しみに暮れたのがご主人である義雄さんでした。

仕事ばかりで何もしてやれなかった…と落ち込む義雄さんの姿を見て「自分が活躍してマスコミに取り上げられることしか父親を励ます手段はない」と一念発起。プロ9年目だった当時の緒方は一流選手への階段を歩み始めたのです。

その姿に感銘を受けた当時の広島三村敏之監督は「緒方の母は緒方を2度生んだ」と話しました。これは広島ファン、いや野球ファンなら誰しもが知る名言、エピソードです。

その義雄さんが、この世を去りました。天国にささげるのは、やはり4連覇、そして悲願の日本一しかない。緒方監督はそう思っているだろうし、ナインもよっしゃ、やったろうじゃないの、と応えるはず。そんな気概を広島カープから感じているのです。