野球のジンバブエ代表監督として初めてオリンピック(五輪)予選に挑んだ、おかやま山陽(岡山)・堤尚彦監督(47)の夢はついえた。アフリカ杯3位で東京五輪への道を閉ざされた。

圧倒して優勝した南アフリカが「欧州・アフリカ予選」に進んだ。開催国の日本をのぞく東京五輪出場枠はわずか「5」だ。

南、西、東の3地区から進出した6チームが集うアフリカ杯が5月1日にスタート。ただ、ナイジェリアとケニアが資金難のために直前で出場をキャンセル。急きょ残り4カ国によるリーグ戦になり、1位と4位、2位と3位が準決勝を戦う方式に変更された。

堤監督率いるジンバブエは初戦でブルキナファソに11-5で勝利。2戦目はウガンダに0-15、3戦目は南アフリカに1-16で敗れてリーグ3位。準決勝は再びウガンダに5-21で大敗した。それでも、3位決定戦はブルキナファソに17-16で競り勝ち、アフリカ3位で意地を見せた。

「のび太とジャイアンでした」。南アフリカ、ウガンダとの力の差を痛感した堤監督。何とか実力差を埋めようと、おかやま山陽野球部に昨夏、今春と2回、計6人の代表候補選手を練習参加させ、野球のイロハを教え込んだ。

監督が4カ国で最も弱いと踏んでいたジンバブエは、日本仕込みの選手の奮闘もあって白星もつかんだ。ほかにもうれしい出来事があった。日本の野球を経験し先に帰国していた選手たちが、練習環境を整えるため、マウンドを自作していたという。技術面にとどまらず、昨年の監督就任前から地道にまいてきた種は少しずつ芽吹いている。

複雑な思いもある。南アフリカ以外の3カ国は、すべて日本の監督が率いていた。いずれも堤監督と同じく、かつて青年海外協力隊員として、それぞれの国で野球の普及に尽力した。指導の面だけではなく、日本からの援助があって、アフリカ杯参加が可能になった。日本人が動かなければ、アフリカ予選そのものが成立しない可能性があった。

五輪競技として野球が定着できない理由がそこにある。アフリカにおける野球の現状をあらためて目の当たりにして「悲しいですよね。この状況を知った日本の野球関係者がどう考えるか」とうめいた。

野球の世界的普及こそが、日本での野球人気復活のカギにもなると信じる同監督は、複雑な思いでアフリカをあとにした。7日夜に帰国し、半月ぶりにおかやま山陽の野球部へ。2カ月後には夏の岡山大会が開幕する。【柏原誠】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)