高校野球地方大会49地区の組み合わせが5日に出そろい、6日は新たに西東京、大阪などで開幕する。

全国津々浦々、限られた環境で強敵に挑む学校も少なくない。いわゆる「金星」には何が必要なのか。昨夏の岩手大会で、剛腕・佐々木朗希投手(当時2年)を擁する大船渡を破った西和賀を訪ねた。部員9人と助っ人2人で戦い、大船渡に勝った。

大船渡から完投勝利を挙げ歓喜する西和賀・高橋大樹(右)(2018年7月14日撮影)
大船渡から完投勝利を挙げ歓喜する西和賀・高橋大樹(右)(2018年7月14日撮影)

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6月末、小岩井農場にほど近い岩手・雫石の球場で、練習試合を終えた大船渡ナインを見送った。東北の背骨・奥羽山脈に沿い、車で南下。やがて西和賀町に入る。ご当地スイーツ「ビスケットの天ぷら」が、たまにメディアに露出する。かつて食糧難だった時代、ビスケットに米粉の衣でボリュームを加えたものだ。

食糧難-。西和賀は豪雪地帯だ。豪雪どころか、国から「特別豪雪地帯」の指定を受ける。奥羽山脈を挟んだ西側はかまくらで有名な秋田・横手市。冬に訪れると、路肩には2メートル級の雪壁がそびえる。伊藤貴樹監督(38)が、この町の西和賀高校に着任したのは昨春だった。秋田高から早大と名門で野球を続け、東日本大震災直後の時期に岩手・高田高校で初めて監督を務めた。そして特別豪雪地帯の西和賀へ。「振り幅がすごいですよね」と笑う。

町の人口5600人弱、全校生徒は98人。そのうち12人が野球部員で、女子マネジャーが2人。この春、1年生男子が6人入った。「去年はネットニュースでも取り上げてもらって、全国からお祝いの声をいただきました。町の方々も喜んでくれて」と伊藤監督。1年生の入部もその効果の1つだろう。西和賀は昨夏、大船渡に勝った。

18年7月14日、夏の岩手大会3回戦。相手先発は予想通り、佐々木朗希ではなかった。それでも4回まで無安打に封じられた。5回、先頭の高橋雅和(当時2年)が「投手が捕ったのか、捕手が捕ったのかも分からない」というぼてぼての当たりを内野安打にし、出塁。そこから相手が制球を乱し、一挙3得点。その3点を守り抜き、3-2で勝った。

当時から最速154キロ右腕と騒がれた佐々木は、結局投げなかった。打席でも無安打。ただ、威圧感は西和賀ナインもひしひしと感じていた。当時から佐々木を知っていた通な高校野球ファンをざわつかせた勝利から1年が経ち、あらためて尋ねた。「あの勝利の要因は何でしたか?」。

伊藤監督は考えた末、シンプルに答えた。「一定の雰囲気では戦えたのかなと」。1回から9回までチームは明るかったという。一塁を守った高橋悠希(当時2年)は「ずっと笑顔だった。エラーしてもみんな変わらなかった」と証言。高橋雅は「みんな意志が崩れなかった」という。その空気は、どのように生まれたか。3人とも口にした要因は「助っ人」だ。

昨夏は野球部員9人。念のため、2人のボート部員に助っ人を頼んだ。特にそのうちの1人、三浦海都(当時3年)が強烈な存在感だったという。「止まることなく、ずっと海都さんの声が聞こえていた。本当に、ずっとです。明るく前向きな掛け声で、それで最後までプレッシャーなく戦えた気がします」と高橋悠は振り返る。助っ人だからこその客観的視点。自分たちらしさを淡々と刻んでくれるメトロノームのような存在だったのだろう。

負けたら終わりの夏。平常心を保つことは簡単ではない。伊藤監督は「やれないことをやろうとすると空回りする。うちは人数も少ないし、経験も浅いし、練習時間も少ない。だから1つに絞っています。去年は守備。今年は技術より精神面。そこを丁寧にやっていきます」と話す。強敵に勝つためのヒントが、そこにもあるかもしれない。

西和賀は今夏も名を上げるか。初戦に勝つと、強豪・花巻東とぶつかる可能性がある。部員も増え、練習の熱も高まるばかり…といきたいが、午後5時を前に多くの部員が引き上げる。駅へ向かう、帰りのバスがもうすぐ来る。「1時間に1本くらいですか?」と聞くと「いえいえ、長い時は4時間に1本です。乗り逃すと大変なんです」と伊藤監督。練習困難な環境でも、策さえあれば強敵も怖くない。熱い夏が来た。【金子真仁】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

西和賀ボート部からの助っ人、照井(左)と三浦(2018年7月14日撮影)
西和賀ボート部からの助っ人、照井(左)と三浦(2018年7月14日撮影)
豪雪の冬や大雨の日は体育館で練習する西和賀ナイン(撮影・金子真仁)
豪雪の冬や大雨の日は体育館で練習する西和賀ナイン(撮影・金子真仁)